「真是的!春香這個傢伙,老是要我執妳的『爛攤子』,妳究竟去了哪裏……」
在一個環境頗為寬廣的單位的書房內,一名女性拿著雜亂無章的文件反覆的看著,可能是這些文件太冗長,令她禁不著發牢騷。
『軍部檢閱文書』
這是一份內部的檢閱文書,與其稱為文書,倒不如稱作樂譜更為合適。因為內容上到處寫滿了音符,而所謂的內容就是歌詞,很明顯的,寫這些所謂『檢閱文書』的人就是那女性的親友-春香最信任的士官們--『普利森瑞柏』家族三姊妹的『傑作』。
女性不斷反覆的看著,非但毫無頭緒,更不知道如何向這份『檢閱文書』下結論,她越看越怒,欲撕毀它的時候,感覺背後有一股怪異的氣息……
於是便放下文書,轉身望望背後,卻沒有異常。
「(看來只是心理作用而已。)」她心想,便再次轉回前面。
她把文書放在桌子上,站起來轉身前往浴室準備洗澡。
大約數分後,女性洗完澡從浴室出來,卻發現兩名小女孩坐在書房的地板上。
「妳……我……」
三名女生頓時各自啞口無言。
那女性仔細觀察四周,除了書桌等日常家具外,可沒甚麼特別東西啦,怎會突然出現兩名小女孩的?
「(這大概是我的幻覺,沒可能會有這種奇怪的情況出現的……)」
然而這不是幻覺,兩名小女孩真的在女性的家實實在在的出現了。
「這裏是……」其中一名小女孩說。
「我不知道,只知道這裏不是地靈殿。」另一名小女孩說。
「怎麼才好啊?無法回去啊,姊姊~」
「戀,妳這樣發牢騷也不是辦法,再者我的能力在這裏根本不能發揮作用。」
女性注意到那對好像有姊妹關係的小女孩的對話,好奇的轉身看看她們,卻留意她們身上一些奇異的特點:
個子較高的小女孩,桃紅色的短髮,左胸前有一隻開眼的特別眼睛,而那眼睛周邊也連著一些類似血管的管道。
至於小個子的小女孩,水綠色的及肩長髮戴著一頂帽子,和剛才的女生一樣左胸前有著一隻連著類似血管的特別眼睛,只不過卻是閉著的。
三女互相目視交會,託異的氣氛逐漸的展開……
女性首先開口詢問那兩個小女孩。
「妳們是誰,怎會無故在我家出現的?」
女孩們聽見那女性的質問,根本沒可能給一個合理的回答,於是,那個左胸開了『心眼』的女孩只好這樣回應:
「小姐,妳這樣問,我們又怎知道啊,不過告訴妳,我們醒來時已經在妳家了。」
女孩的回答,使女性不禁思疑,心想:「(既不是自己上門的,究竟是誰帶她們來呢?)」
年長的正在傷腦筋的思考著,另一方面,戴著帽子的女孩無意識的行動,似乎沒有人注意她。
「戀,妳在幹嘛?」開了『心眼』的女孩呼叫那個名為戀的女孩。
「她叫阿戀嗎?這個名字頗動聽的。」女性好奇的問道。
「是的,她是我的妹妹,本來和我一樣有讀心術的能力,可是她害怕被討厭,因此把這個(指著『心眼』)封印,從此就這樣無意識行動了。對了,忘了自我介紹,我是古明地悟,是地靈殿的當主,在此多多指教。」
「幸會幸會,我是內海幸枝,這裏也請關照啊,古明地小姐!」
「叫我小悟可以了,不過總覺得妳和我的寵物很貌似……」
「哦,是嗎,牠是誰呢?」
「她叫火焰貓燐,通常我們習慣叫她做『お燐』,是相當活潑的女孩呢~」
「聽起來很有趣,如果有空我可以來探訪嗎?」
「嘿嘿~,地靈殿是舊地獄區的啊,妳敢進來嗎?」
「地獄?」
「直接說可能把妳嚇倒,不過現在已經對外開放,歡迎隨時探訪~」
「嗯嗯,甚麼原因導致對外開放呢?」
「被巫女、魔女以及那批神秘人征服過後便這樣了。」
「原來如此,那些征服者是誰呢?」
「巫女的叫做博麗靈夢,魔女叫做霧雨魔理沙,至於那些人……」
正當小悟欲說所謂『那些神秘人』的身份時,沒人留意的小戀,拿著『檢閱文書』驚叫起來。
「戀,怎麼了?」小悟慰問道。
「姊姊,妳看看這些文章……」
「甚麼啊~,只不過一份樂譜而已……是誰把內容作成歌詞一樣的?!」
「樂譜?不是啦,這是一份『軍部檢閱文書』啦,只是內容有點……」幸枝看著『檢閱文書』對她們說。
「且慢,這些字跡很眼熟,我好像在哪裏見過……難道是……」
「姊姊怎樣了?」
「唔……難道是『那些人』的其中三人,更肯定的是,這是交給『那傢伙』處理的文件!」
「小悟,妳所說『那些人』到底是誰?」
「寫這編『軍部檢閱文書』的,是『那傢伙』的直屬下官三人--普利森瑞柏三姊妹!」
「普利森瑞柏三姊妹?不就是春香的……」
「妳似乎認識『那傢伙』呢~」
「喂喂,請不要叫春香做那傢伙好不好,她畢竟是我的大親友啦!」
「原來如此,提起她就很激氣了……!」
「我想問,春香到底做了甚麼令妳這麼憤怒?」
幸枝這樣問,小悟於是一五一十的道出真相。
少女說明中……
「原來是這樣,不是甚麼大件事嘛,何必這麼執著?」幸枝苦笑。
「我想和她堂堂正正的勝負!」
「那次的對戰對妳不公平嗎?」
「唔……怎樣說呢,她常常用『瞬間移動』的能力偷襲,以近乎壓倒性的優勢取勝,這是不是現代人所謂的『屈機』?自此以後,我非常憎恨擁有『瞬間移動』能力的人。」
「『瞬間移動』……,她以前沒有這個,怎麼會……」
「恐怕有人在她身上施加甚麼的,算了,那次對戰之後我再沒看到她了。」
「她後來如何?」
「我也不知道……」
她們對話期間,小戀不自覺的插咀:
「不是啦,小春姊姊絕對不是壞人,姊姊妳未免對她太偏見吧!」
「戀……,我明白的了。」
「想不到小戀如此偏護春香啊。」
「她曾經救過我一命…」
小戀害羞地說著這話,令幸枝及小悟不禁疑惑。
「幾個月前,我準備前往守矢神社,在途中遇上大量凶暴的魔獸,那些魔獸二話不說便向我襲擊,正當它們張牙舞爪之際,眼前突然跳出一個人影,那人拿出奇怪的東西,一瞬間把那些魔獸全部打倒。
然後便轉身對我說:『小姐,妳沒事嗎?』
我看著那人的臉,清爽的短髮配上五官端正的外貌,雖然沾上一些魔獸的血,不過卻沒影響其儀容。
於是我向他說:『謝謝你的幫忙,先生。』
那人聽到後立刻嚇呆,原來『他』是女的啊~。之後她護送我到守矢神社,臨離去前我問她的名字,她叫做春香,就這樣我就認識小春姊姊了。」
小戀說完這段陌路緣後,意想不到的令兩長輩了解。
「小戀,妳可知道春香去了哪裏?」
「其實我也不知道,抱歉。」
「是吧……,那妳們今後怎樣做?」
「說實在的,我們不知道怎樣做,我有一個請求……請問我們可以在妳家留宿嗎?」
「好的,在找到妳們回家的路之前,我會一直讓妳們留宿的。」
「謝謝妳!」
於是,古明地姊妹在突如其來的情況下,展開了現實世界的奇幻生活。
(待續)
月曜日, 12月 29, 0020
日曜日, 12月 28, 0020
機関銃紹介(IV)
ミニミ軽機関銃
ミニミ軽機関銃(みにみけいきかんじゅう / MINIMI / Mini Mitrailleuse)とは、ベルギーの国営銃器メーカーFN社が開発した、5.56mm NATO弾を使用する分隊支援火器である。日本やアメリカでは、分隊単位に配備され、火力支援に使用される。MINIMIとはフランス語で「ミニ・ミトラィユーズ Mini-mitrailleuse(ミニ・マシンガン)」の意味。
概要:
同社のFN MAGを元に銃本体の重量を軽量化することにより機関銃手一人当たりの携行弾数を増加させる事に成功した。給弾方式はベルトリンク送弾の他に緊急時にはM16のマガジンなどを装着して発射を持続できる。冷却は空冷式で、銃身交換も容易である。上部のフィードトレイに、一般的なベルト式装填を行うことができるが、機関部下に200発のベルトリンクを装填できるプラスチック製弾倉M27を装着する事が多い。
二脚(バイポッド)が標準装備されており、簡単に携行できる分隊支援火器(SAW = Squad Automatic Weapon)として使用されるほか、アメリカ軍や陸上自衛隊では三脚(トライポッド)を付けて使用することもある。ソマリアやイラクにおける各種作戦でも多用され、信頼度と射撃性能について優れた評価を受けている。
各国の採用状況:
-アメリカ合衆国-
M249として、1984年に陸軍に採用された。海兵隊でも、分隊レベルでの支援火器として積極利用しており、特に4~5人で編成される沿岸偵察チームには必携となっている。熱対策の為、銃身上部にカバーを追加する改良が施されている。10年以上使われ続けた為に機械強度が低下しているものが多いという評価があるが、実際は採用された時の基本設計から様々な改良が加えられ現行では第4世代であるため、現在ではもっとも進化しているであろうタイプでもある。
-イギリス-
SAWとしてはL108A1として、空挺用(Para)としてはL110A1としてイギリス陸軍で使われている。軽支援火器とGPMG(汎用機関銃 :General Purpose Machine Gun)の中間の武器として採用された。特に、4人編成の分隊ではParaバージョンが重用されている。これらには、CWS(Common Weapon Sight)という、昼夜共用の光学サイトが多用されている。
-オーストラリア-
F89として現地生産したものがオーストラリア陸軍に採用された。特徴として、ピカティニー・レールと、1.5倍光学サイト(スコープ)が取り付けられ、またフラッシュハイダーが長くなっている。9名からなる分隊が2丁を携行している。また、少数の空挺バージョンが、空挺部隊により使われている。
-カナダ-
C9としてカナダ陸軍に採用された。標準的に製造されたミニミに、金属製伸縮チューブ式ストックを付けたもの。C9A1は、ピカティニーレールが採用され、3.4倍のElcan C79スコープが取り付けられるようになっている。C9A2は銃身が短くなり、部品に緑系の迷彩塗装が施され、プラスチック製マガジンの代わりに布製のマガジンとなり、M4カービンのようなテレスコピック・ストックと、折りたたみ可能なフォアグリップが取り付けられ、標準でレーザー照準デバイス(LAM/LAD)が取り付けられている。
-イスラエル-
イスラエル国防軍(IDF)は最初にミニミを5.56mm版SAWとして採用し、その品質を実戦で確かめた。限られた数のミニミが1990年代前半に購入され、南レバノンで実戦に使用された。ミニミは確実に動作し、高い評価を得たが、1995年にイスラエル独自開発のIMI ネゲヴ(Negev)5.56mm軽機関銃が、よりイスラエル国防軍の要求に合致するものとして採用された。
-フランス-
AAT-F1の名称でフランス陸軍内で広く使われている。
-ネパール-
ネパール陸軍は5,500丁のミニミを使用している。2002年7月11日にベルギー政府により供給された。
-スウェーデン-
Ksp 90としてスウェーデン陸軍が採用している。
-ニュージーランド-
C9としてニュージーランド陸軍が採用している。
-オランダ-
オランダ陸軍は歩兵用に、FN MAGの代替機関銃として採用した。FN MAGは、まだ車両搭載用機関銃として使われ続けている。
-日本-
住友重機械工業がライセンス生産を行い、「5.56mm機関銃MINIMI」との名称で採用している。陸上自衛隊においては普通科部隊を中心に62式7.62mm機関銃の後継として配備が進められている。89式5.56mm小銃よりも射程が長く、選抜射手による火力支援的狙撃と、点射による機関銃射撃は近い使用法とされる傾向が旧日本陸軍時代からあるため、照準眼鏡を装着して、狙撃銃的に使われる場合もある。62式7.62mm機関銃の三脚を装着可能で、精密な射撃を要求される際に使用される。銃身上部に付けられているカバーは、アメリカ軍と同様に後付けである。
また、現在派生型として車載用(引き金装置が12.7ミリ重機関銃のようなタイプ)とアップグレード型として空挺型・低反動型・カービン型など開発中である。
M249の派生型:
全てのM249には、MILES(レーザー戦闘シミュレーションシステム)用のレーザー装備を取り付けることができる。また、サードパーティー製のフラッシュサプレッサーを取り付けることもでき、ジェムテック(Gemtech)製のものは、NATO標準のフラッシュハイダーに取り付けられるように設計されている。しかし実際にこれを取り付けると、持続射撃でサプレッサーがオーバーヒートを起こすため、あまり取り入れられてはいないようである。
M249 Para-
空挺バージョン。折り畳みストック(銃床)と短いバレルが特徴。空挺部隊用として、色々な戦闘局面に対応できるようコンパクトに設計されている。
M249E4-
M249をベースにしたFNミニミ・特殊用途火器(Special Purpose Weapon = SPW)で、ピカティニー・レールをフィードカバーの上に取り付け、フォアグリップを装着し、銃身を短くして、空挺スタイルの折りたたみストックM5に改修したバージョン。その他の特徴として、軽量化のため、M16マガジン用ポート・三脚装着用金具・バイポッドを廃止した。
Mk46 Mod 1-
アメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)が採用したもので、M249E4と似ているが、改良されたレール型ハンドガード、M249E4のM5ストックよりも軽い標準タイプの固定式ストック等の違いがある。Mk43 Mod 0 (M60E4 SEALsモデル)とは別物。
MK48 Mod0-
ミニミの7.62mm x 51mm弾仕様タイプ、SEALs等少数にて潜入任務等をこなす特殊部隊は、少数対多数の戦いになる事が多く従来の5.56mm x 45mm弾仕様のミニミでは威力不足とし、米特殊作戦軍の要請のもと作製されたモデル。
その他-
多数の米軍M249が、フィードカバー上へのピカティニーレール取り付け改造を施された。これで、M68エイムポイントのような、市販の昼夜共用の光学スコープや、低倍率スコープを取り付けることができるようになった。さらに一部のM249は、初期装備のプラスチック製固定ストックから、金属チューブ伸縮式ストックに改修された。
(Wikipediaより)
~独自的な東方幻想軍事オリジナル設定~
EB-K9の名称として守矢海軍で採用している、特殊口径(*4.85mm特殊鋼弾)の弾丸を使用する。プリズムリバー部隊が原型の違いがある。
*注:4.85mm特殊鋼弾は、河童が開発の特殊合金属弾丸です、殺傷力かなり高い。
ミニミ軽機関銃(みにみけいきかんじゅう / MINIMI / Mini Mitrailleuse)とは、ベルギーの国営銃器メーカーFN社が開発した、5.56mm NATO弾を使用する分隊支援火器である。日本やアメリカでは、分隊単位に配備され、火力支援に使用される。MINIMIとはフランス語で「ミニ・ミトラィユーズ Mini-mitrailleuse(ミニ・マシンガン)」の意味。
概要:
同社のFN MAGを元に銃本体の重量を軽量化することにより機関銃手一人当たりの携行弾数を増加させる事に成功した。給弾方式はベルトリンク送弾の他に緊急時にはM16のマガジンなどを装着して発射を持続できる。冷却は空冷式で、銃身交換も容易である。上部のフィードトレイに、一般的なベルト式装填を行うことができるが、機関部下に200発のベルトリンクを装填できるプラスチック製弾倉M27を装着する事が多い。
二脚(バイポッド)が標準装備されており、簡単に携行できる分隊支援火器(SAW = Squad Automatic Weapon)として使用されるほか、アメリカ軍や陸上自衛隊では三脚(トライポッド)を付けて使用することもある。ソマリアやイラクにおける各種作戦でも多用され、信頼度と射撃性能について優れた評価を受けている。
各国の採用状況:
-アメリカ合衆国-
M249として、1984年に陸軍に採用された。海兵隊でも、分隊レベルでの支援火器として積極利用しており、特に4~5人で編成される沿岸偵察チームには必携となっている。熱対策の為、銃身上部にカバーを追加する改良が施されている。10年以上使われ続けた為に機械強度が低下しているものが多いという評価があるが、実際は採用された時の基本設計から様々な改良が加えられ現行では第4世代であるため、現在ではもっとも進化しているであろうタイプでもある。
-イギリス-
SAWとしてはL108A1として、空挺用(Para)としてはL110A1としてイギリス陸軍で使われている。軽支援火器とGPMG(汎用機関銃 :General Purpose Machine Gun)の中間の武器として採用された。特に、4人編成の分隊ではParaバージョンが重用されている。これらには、CWS(Common Weapon Sight)という、昼夜共用の光学サイトが多用されている。
-オーストラリア-
F89として現地生産したものがオーストラリア陸軍に採用された。特徴として、ピカティニー・レールと、1.5倍光学サイト(スコープ)が取り付けられ、またフラッシュハイダーが長くなっている。9名からなる分隊が2丁を携行している。また、少数の空挺バージョンが、空挺部隊により使われている。
-カナダ-
C9としてカナダ陸軍に採用された。標準的に製造されたミニミに、金属製伸縮チューブ式ストックを付けたもの。C9A1は、ピカティニーレールが採用され、3.4倍のElcan C79スコープが取り付けられるようになっている。C9A2は銃身が短くなり、部品に緑系の迷彩塗装が施され、プラスチック製マガジンの代わりに布製のマガジンとなり、M4カービンのようなテレスコピック・ストックと、折りたたみ可能なフォアグリップが取り付けられ、標準でレーザー照準デバイス(LAM/LAD)が取り付けられている。
-イスラエル-
イスラエル国防軍(IDF)は最初にミニミを5.56mm版SAWとして採用し、その品質を実戦で確かめた。限られた数のミニミが1990年代前半に購入され、南レバノンで実戦に使用された。ミニミは確実に動作し、高い評価を得たが、1995年にイスラエル独自開発のIMI ネゲヴ(Negev)5.56mm軽機関銃が、よりイスラエル国防軍の要求に合致するものとして採用された。
-フランス-
AAT-F1の名称でフランス陸軍内で広く使われている。
-ネパール-
ネパール陸軍は5,500丁のミニミを使用している。2002年7月11日にベルギー政府により供給された。
-スウェーデン-
Ksp 90としてスウェーデン陸軍が採用している。
-ニュージーランド-
C9としてニュージーランド陸軍が採用している。
-オランダ-
オランダ陸軍は歩兵用に、FN MAGの代替機関銃として採用した。FN MAGは、まだ車両搭載用機関銃として使われ続けている。
-日本-
住友重機械工業がライセンス生産を行い、「5.56mm機関銃MINIMI」との名称で採用している。陸上自衛隊においては普通科部隊を中心に62式7.62mm機関銃の後継として配備が進められている。89式5.56mm小銃よりも射程が長く、選抜射手による火力支援的狙撃と、点射による機関銃射撃は近い使用法とされる傾向が旧日本陸軍時代からあるため、照準眼鏡を装着して、狙撃銃的に使われる場合もある。62式7.62mm機関銃の三脚を装着可能で、精密な射撃を要求される際に使用される。銃身上部に付けられているカバーは、アメリカ軍と同様に後付けである。
また、現在派生型として車載用(引き金装置が12.7ミリ重機関銃のようなタイプ)とアップグレード型として空挺型・低反動型・カービン型など開発中である。
M249の派生型:
全てのM249には、MILES(レーザー戦闘シミュレーションシステム)用のレーザー装備を取り付けることができる。また、サードパーティー製のフラッシュサプレッサーを取り付けることもでき、ジェムテック(Gemtech)製のものは、NATO標準のフラッシュハイダーに取り付けられるように設計されている。しかし実際にこれを取り付けると、持続射撃でサプレッサーがオーバーヒートを起こすため、あまり取り入れられてはいないようである。
M249 Para-
空挺バージョン。折り畳みストック(銃床)と短いバレルが特徴。空挺部隊用として、色々な戦闘局面に対応できるようコンパクトに設計されている。
M249E4-
M249をベースにしたFNミニミ・特殊用途火器(Special Purpose Weapon = SPW)で、ピカティニー・レールをフィードカバーの上に取り付け、フォアグリップを装着し、銃身を短くして、空挺スタイルの折りたたみストックM5に改修したバージョン。その他の特徴として、軽量化のため、M16マガジン用ポート・三脚装着用金具・バイポッドを廃止した。
Mk46 Mod 1-
アメリカ特殊作戦軍(USSOCOM)が採用したもので、M249E4と似ているが、改良されたレール型ハンドガード、M249E4のM5ストックよりも軽い標準タイプの固定式ストック等の違いがある。Mk43 Mod 0 (M60E4 SEALsモデル)とは別物。
MK48 Mod0-
ミニミの7.62mm x 51mm弾仕様タイプ、SEALs等少数にて潜入任務等をこなす特殊部隊は、少数対多数の戦いになる事が多く従来の5.56mm x 45mm弾仕様のミニミでは威力不足とし、米特殊作戦軍の要請のもと作製されたモデル。
その他-
多数の米軍M249が、フィードカバー上へのピカティニーレール取り付け改造を施された。これで、M68エイムポイントのような、市販の昼夜共用の光学スコープや、低倍率スコープを取り付けることができるようになった。さらに一部のM249は、初期装備のプラスチック製固定ストックから、金属チューブ伸縮式ストックに改修された。
(Wikipediaより)
~独自的な東方幻想軍事オリジナル設定~
EB-K9の名称として守矢海軍で採用している、特殊口径(*4.85mm特殊鋼弾)の弾丸を使用する。プリズムリバー部隊が原型の違いがある。
*注:4.85mm特殊鋼弾は、河童が開発の特殊合金属弾丸です、殺傷力かなり高い。
機関銃紹介(III)
M60機関銃
M60機関銃 (M60 Machine Gun) は、アメリカ合衆国の機関銃である。7.62×51mm NATO弾を使用する。ベトナム戦争を初めとして、多くの実戦で使用された。現在のアメリカ軍においては、後継機関銃のM240(MAG-58)や、さらにその後継のM249(ミニミ分隊支援火器)に置き換えられつつある。しかしながら、この機関銃は様々な用途で残っている。さらに、オーストラリアなどいくつかの国では現在も使われており、生産も続けられている。
概要:
M60は、攻撃状況にも防御状況にも使うことができる。攻撃においては、M16よりも大口径の銃弾を、高い発射速度で長い有効射程範囲内に発射することができる。防御においては、長射程でも近接戦でも、最終防衛手段としても使うことができる。このように、M60は部隊の戦術計画に多様な形で組み込むことができる。
M60は、オプションの三脚を使用した場合、1,100mが有効射程となる。また標準装備の二脚を使用した場合では、800mが有効射程に、点標的に対しては600m、移動する標的に対しては200mが有効射程となる。アメリカ海兵隊の方針では、銃手が熟練している場合、M60やそれと同等クラスの武器は面射撃や制圧射撃で1,500mが有効射程とされている。
M60は部隊員にとって役立つ武器と考えられている。一人の場合よりも、二人で運用した方が効果が高い。一人は射手で、一人は装填手となる。射手はM60本体を運び、装填手は予備の銃身と弾薬を運ぶ。基本的には、600-900発を携帯する。これは発射速度を最高速と考えた時に、およそ2分間弱の持続射撃ができる弾数である。
ベトナム戦争においては、数々の部隊で分隊支援火器として使われ、分隊のほぼ全員が予備の銃身か、少なくとも200発のM60用弾薬、あるいはその両方を、自分用の小火器と一緒に携帯した。
開発と使用経緯:
M60の開発は新型 7.62mm 軽機関銃 (lighter 7.62 mm machine gun) として、1940年代の後半から始まった。設計には、それ以前の優れた武器のものを積極的に取り入れ、独自の改良を加えた。具体的には、次の事項のようなものである。
プレス工法の積極的取り入れ:ショーシャ軽機関銃(第一次世界大戦で最も大量に生産された)
ベルト給弾方式:ブローニングM1916機関銃(A6型、ないし、その後のモデル)
ベルト給弾の機械的構造:MG42機関銃
バレルの素早い交換:チェコのZB 1930
銃把(ピストルグリップ)と銃床(ストック)
また、M60はガスオペレーション方式を採用しているが、これはFG-42を参考にしたと言われている。また、あるソースでは、ルイスガンの機構を借りたものとも言われている[1]。
ソースは何であれ、ガス動作オペレーションシステムの複雑さに起因する信頼性の低さは、この銃に関する共通の批判であった。しかしながら、この機構は米軍やその他の機関によって、1957年から現在まで使われ続けている。この銃に関する評判は良いものから悪いものまで広く存在し、批判は使用者がどのバージョンを使ったかに依存する。
この機関銃のM249 MINIMIへの交換は、1980年代の一部の作戦から始まった。また、1991年に制式採用されたM240機関銃(FM MAGのライセンス生産品)への交換が、20世紀の終わり頃から始まった。M240はM60よりはるかに重いが、その高い信頼性から重用されている。
M60はまた、陸軍ヘリのドアガンとして2000年代にも使用され続けた。また、米軍特殊部隊において7.62mm機関銃として1990年代の終わり頃まで、さらにSEALs(米海軍特殊部隊)によって1990年代から最近まで使われ続けた。現在に至るまで、アメリカ沿岸警備隊や、多数の予備役部隊によって使用されているが、これはM240の各バージョンに段階的に置き換えられている。しかし、M60はまだ米軍や特殊部隊、その他の部隊によってまだまだ使われ続けるであろう。
M60の使用自体は続くものの、使用中の武器がゆるやかに摩耗していくことと、新しい代替機関銃が導入されること、また新しい任務に応じて新しい武器が支給されることと併せて、先細りになっていくであろう。しかし、M60を使い続けるグループは予備を保存しておくであろう。ある部隊がM240などを支給されたとき、M60よりさらに古い武器を使っている予備部隊にそれを回し、代わりにM60を受け取ったかもしれない。M240機関銃自体は、計画中の新しい軽量7.62mm機関銃により置き換えられる予定である。
設計:
M60はガス動作式、空冷式、ベルト給弾式の機関銃であり、オープンボルト位置から薬室に7.62mm NATO弾を装填する。弾薬は、金属製分割式リンクで連結された100発単位のベルトで給弾される。他の武器と同様、立射、膝射、腰だめ射撃ができるが、最も使用効果が高いのは、二脚を使用した伏射か、三脚に乗せて、3発から5発までのバースト射撃を行った場合である。
この武器は重く、支持なしでの射撃は照準が難しいが、重量自体は連射による反動を抑える方向に働く。全長に渡って直線的な設計は、操作ロッドとバッファが銃床まで直接後退し、全長を短くすることに成功している。 大きなグリップは、腰の位置で持ち運ぶのに非常に便利である。また、実弾を工具代わりに使って分解することができる。
設計への批判と問題点-
試験場でテストされた時には、M60はきわめて有効と判断された。しかし、すぐに使用することとなった東南アジアのジャングル内では、初期のバージョンはすぐに数々の厳しい問題点を露呈した。重さ自体が問題だったという人も少なくないようだが、このタイプのベルト給弾式機関銃はおしなべて重いものである。M60は、同時代の7.62mm機関銃の中では最も軽く、代替品のM240より軽いほどである。
ベトナムの部隊からの最も一般的な苦情は、M60は信頼性が低く、特に伏射して汚れた時にジャム(弾詰まり)を起こしたり、他の動作不良を起こしたりすることであった。M60の機関部は複雑で、砂埃で即座に動作が停止してしまう傾向がある。このことは、イスラエル国防軍がM60を不採用とした最も重要な理由の一つとなった。この機関銃は、M1918ブローニング自動小銃(BAR)よりも清掃とメンテナンスが難しかった。また、ジャングルでない普通の状態でも、数千発を発射するとしばしば弾詰まりを起こした。これは実戦においては非常に深刻な問題である。しかし、適切にメンテナンスされていれば、非常に有効な武器であった。M60は、歩兵用途としてはM240やM249に代替されたものの、航空機、艦船、特殊部隊で使用されるために残された。
安全装置(セイフティー)は取り扱いが厄介で、特にM16やM1911A1コルト・ガバメントで訓練された兵士にとっては間違った使い方をされた。他の武器では銃の発射準備ができた時にセイフティーを下に移動させるところ、この銃では上に移動させるようになっている。
M60の信頼性についての評価は、バージョンに依存するものの、あまり高くない。特に汚れがひどい時に、薬莢排出サイクルの間に空薬莢の排出ジャムを起こしがちで、たいていは空薬莢のリムを引きはがさなければならない。この解消には時間がかかった。また、バレル・ラッチ機構(レバーが前後動する)は、射手の装備に引っかかり、ラッチが閉鎖せず、結果、バレルが脱落するという結果を引き起こしがちであった。このレバー機構は、緊急時にリリースする時のためのような、押しボタン式に改修された。しかし、レバー機構は未だに残っており、この銃が制式採用されてから40年間経った今でも、この問題は再発している。グリップとトリガーのアセンブリは、他の設計でよくある取り外し可能ピンではなく、壊れやすい板バネクリップで取り付けられている。このクリップは、最初にアバディーン試験場で試験された時に、壊れやすいことを指摘されたことが知られている。戦地でのM60は、粘着テープやケーブル結束タイが付いているのが時々見受けられるが、これはクリップが壊れたために現地部隊が取り付けたものである。
初期のM60における最も深刻で致命的な部品は、レシーバ・カバーと給弾トレイである。これらはプレス加工された非常に薄い鉄板であり、曲がったり割れたりする傾向にあった。より頑丈な部品が供給されるようになったのは、1970年代初期である。さらに、初期のM60では、ドライビング・スプリング・ガイドとオペレーティング・ロッドが細すぎ、またピストン・ヘッドの後ろにあるガス・ピストンは非常に小さいものだった(これは軽量化のためである)。これらは、部品の破損しやすさに結びつきやすかった。しかし、1970年代には頑丈な部品設計に変更され、ゆるやかに補給されていった。
他のいくつかのバージョンのM60における問題として、FN MAGやPK、ラインメタルMG3など、銃身が交換可能な7.62mm汎用機関銃の二脚がガス・チャンバーまたは銃身シールドにつけられていたのに対して、M60では銃身そのものに付けられていた。これは命中精度に影響するので、必要な程度に頑丈な太さにされた銃身に交換された。
アメリカ海兵隊の大部分の部隊では、M60を特に軽蔑しており、その代わりにしばらくの間は非制式になっていたブローニング自動小銃(BAR)を、1967年から1968年まで公式に使い続けていた。1980年代半ばには海兵隊用にも、8.61kgに軽量化されて、わずかながら信頼性の改良を含む設計が施されたM60E3が支給された。しかしながら、ユーザーはすぐに過熱する銃身について苦情を申し立てた。これは他のM60と共通の問題である。M60E3の軽量銃身が、200発の持続発射で交換するところ、100発の持続発射で交換を要求することが、さらにこの問題を悪化させた。しかし、M60E3の銃身はワイヤと銃尾近くのプラスチック・ハンドルで、ミトンなしに安全に交換することができる。
1991年に、M60は米軍として正式に、ベルギー設計のFN MAG機関銃、制式名M240に交換されることになった。しかしながら、多数のM60がアメリカ陸軍予備役部隊と州兵部隊で使われ続けた。1967年の開発以来、改良を重ねてきたものの、苦情の種となっている。また前述の通り、特殊部隊と、ヘリ用ドアガンとしては最前線に残り続ける。これは、2000年代内に開発される予定のM240の派生バージョンで交換される予定となっている。最終的には、残存するM60と現役のM240は、双方とも新しい軽量型7.62mm機関銃と交換される計画となっている。
弾薬:
M60シリーズは、多様な弾薬を発射することができる。最も一般的なのがM61徹甲弾(AP弾)、M62曳光弾、M80通常弾、そしてM63模擬弾とM82空砲である。弾芯がタングステンでできた新しいM993徹甲弾もM60で使用することができるが、M60を現役で使っている部隊にはかなり経ってからでないと支給されなかった。空砲を連射で発射する場合には、発射速度に応じてM13またはM13A1空砲アダプター(Blank Firing Adapter = BFA)を取り付ける必要がある。これらの弾薬はすべて、NATO標準の金属製分割リンクで供給される。
M60でのごく標準的な戦闘時の弾薬配列は、4発のM80通常弾に対して1発のM62曳光弾である。4:1の配置は、射手が標的に対して正確に「着弾を歩かせる」ことを可能とする。経験を積んだ射手は、曳光弾が通常弾と必ずしも同じ飛び方をするとは限らないことを熟知している。銃の照準を使用する時、曳光弾が燃え尽きても目に見えないところで、特に800mを超えた範囲で通常弾が着弾していることを知っている。この問題は、この口径およびこれより小さい口径(5.56mmを使用するM249(MINIMI)など)では共通の問題である。曳光弾と通常弾の重さが根本的に異なることが理由である。特に5.56mmの曳光弾は最悪の場合300mで燃え尽きてしまうため、問題として顕著である。
弾薬一覧
M61 徹甲弾(AP弾 = Armor Piercing)
M62 曳光弾(tracer)
M80 通常弾
M82 空砲(空砲発射用アタッチメントの取り付けが必要)
M63 模擬弾(ダミー)
これらはM13リンクで連結される。リンクは射撃後に自動的に分解され、空薬莢とともに排出される。
派生型:
長期間に渡って生産されたM60には、多数の派生型が存在する。ほとんどの派生型は、初期の設計に由来する問題を改修した。それとは別に、ヘリ用と戦車用に開発された二つのバージョン(M60CとM60D)がある。
派生型のまとめ:
T161 - M60の開発名称で、このタイプが制式化されるまでの1950年代の分類。プロトタイプ版、及び競作に勝った最終テストモデル(T161E3)まで含む。
M60 - 基本モデルだが、メーカー間での細かな違いと、時間の経過による細かな改修も含む。1960年代に最も多用された。
M60E1 - 最初の改良版で、E3・E4バージョンに引き継がれたものや、それまでのM60生産上の数々の特徴を含んでいるが、量産はされなかった。
M60E2 - 同軸機銃用として使うための車両版。
M60E3 - 1980年代に採用された軽量化版。
M60E4(Mk 43 Mod 0) - E3に似ているように見えるが、多くの改良点を持っている改修版。海軍でも使用されたものと、その副派生型も含む。Mk 43 Mod 0はレールの取り付けを含むスペシャル版。
M60B - 1960年代、ヘリコプターの中で使用された。ただし、マウントはされていない。
M60C - 航空機内で使用するための固定マウント版。
M60D - M60Bを置き換える目的の可動マウント版で、特にヘリコプター内で使うために開発されたが、他の目的にも使用されている。
M60-
基本型。1950年代終わりにアメリカ陸軍で制式化された。この時点では、歩兵用途しか考慮されていなかった。1950年代のT161(特にT161E3)とT52の競作の結果、T161が採用された。両方とも同様の給弾機構とガス・オペレーションシステムを採用していたが、T161の方がより量産に適していると判断された。
M60E1-
M60E1は、M60基本型の最初のバージョンである。主な変更点は、ガス・シリンダーと銃身、二脚の接続方式で、基本型では、これらはすべて接続されていた。いくつかのソースでは、M60E1は制式採用されなかったと主張しているが、異なる主張をしているソースもある。どちらにせよ、M60E1自体は量産に組み入れられなかったものの、その後のバージョンに影響を与えている。また、1966年からは、M60E1のいくつかの改良点に基づいてM60が改修されている。もう一つの大きな変更点は、二脚の取り付け位置が(M60E3のように)バレルでなくガス・チューブに移されたことである。E3/E4のような、前方の垂直グリップは取り付けられていない。
M60E2-
M60E2は、同軸機銃など、装甲車両への取り付けを目的として開発され、M48A5戦車やM60戦車などのパットン戦車シリーズ、韓国のK1戦車で使われた。主な変更点としては、外装の大幅な省略、銃床や銃把の取り外し等である。発射指令は電気的に行うが、手動で引き金を引くバックアップも残されている。弾薬の供給にはメタルループ(金属で弾帯を誘導する部品)を使用している。銃身の下のガス・チューブは、バレルの長さに合わせて延長されており、車両の形状に合わせて外形が折り曲げられている。このバージョンは、1970年代の試験で平均故障発生間隔(MTBF)は1,669時間と判定されたが、これはFN MAGよりも悪い数値であるため、1977年から同軸機銃はM240に置き換えられた。
M60E3-
M60E3は、初期のM60の数々の問題点を解決したものとして、1986年頃から歩兵部隊が使用する火器として実戦配備された。これは軽量で「改修された」バージョンとして、射手の負担を軽くする目的もあった。それまでの同シリーズとは異なり、数々の現代的な改良がなされている。
レシーバ部に取り付けられた、より安定した二脚
左右どちらの利き手にも対応
汎用スリング(負い革)アタッチメント
銃身の上にキャリング・ハンドルを取り付け
ガス・システムを簡略化
しかしながら、これらは改良された点と同じぐらい、問題を引き起こした。また、銃身が軽くなったが、この銃身では200発を持続発射することは危険となった。しかしながら、何人かの兵員は、持続発射が可能な成功した銃器であると証言している。この銃身のライナーにステライト合金が使われたことが、このことを可能にしたと考えられる。しかし、このような持続発射はすぐにオーバーヒートを引き起こし、銃を使用不能にしてしまう。
これらの軽量化は、この銃器自体の寿命も短くしてしまい、基本型よりも部品がすぐに摩耗・破損する傾向にあった。アメリカ陸軍とアメリカ海兵隊の大部分の部隊は、汎用機関銃としてM240に切り替えた。これはM60E3より2.7kg重いが、(特に使用環境が汚い場合に)その頑丈さと信頼性から、より好まれているようである。
M60E3には、銃身が重いタイプと軽いタイプの、二つのタイプがある。
M60E4 (Mk 43 Mod 0)-
これはM60E3のコンパクト版である。M60E3の短銃身版に見えるが、より多くの改良点が含まれている。このバージョンは、海軍ではMk 43 Mod 0として制式化されているが、M60E4と同じものである。特徴としては、前方に垂直銃把(ピストルグリップ)が取り付けられ、より信頼性を上げたものである。
M60E4は、1990年代のM240E4と呼ばれた版と、アメリカ陸軍での旧型M60置き換え用歩兵用支援火器の競作で対抗した。結果、M240E4が勝ち、これはM240Bと名付けられた。この結果、1,000丁近くのM240が、改修オーバーホールと改修(銃床の交換、レールの取り付けなど)のために、FN社に送られている。1990年代の終わりには、M240はすべてM240Bに置き換えられた。このとき、M60E4で改修されたような、油圧による反動抑制装置が組み込まれている。M240BはM60E4より重いが、試験により信頼性が確認された。さらに、これらを置き換えるための新型軽量機関銃の開発が、2000年代初頭より計画として進行している。
Mk 43 Mod 1は、M60E4 (Mk 43 Mod 0)の修正版で、より短い銃身と、垂直銃把の変更、レールの改良が行われている。
MK46 Mod 0 M60E4の全長を短くした短小モデル、SEALsに採用されMK46 Mod 0の正式名を得る。 MK46 Mod 1 (ミニミの短小モデル)とは別物。
M60B-
M60Bは短命に終わったバージョンで、1960年代に少数が配備されたに過ぎない。ヘリコプターから射撃するために作られたが、どこにもマウント(取り付け)されていないため、射手がずっと保持しておかなければならない。これはすぐにマウント版のM60Dに置き換えられた。M60Bの基本型との違いは、二脚がないことと、銃床の形が異なることである。しかし、ピストルグリップはそのまま残されており、スペードグリップになっていない。
M60C-
M60Cは、M60基本型の航空機搭載用バージョンである。最も重要な違いは、M60Cでは電気的制御により遠隔操作で発射することと、そのために油圧による回転装置が組み込まれていることである。機長または副機長が、コクピットから制御することができる。空冷、ガスオペレーション、ベルトリンク給弾式である点は変わらない。これはM2、M6、M16火器システムに組み込まれた他、OH-13 スー、OH-23 レイブン、UH-1Bイロコイス、OV-10 ブロンコに搭載された。
M60D-
M60Dは、M60基本型のマウント版である。これはヘリコプターのドアガンだけでなく、ボートや車両にも取り付けることができる。航空機で使用する場合には、M60Cのように操縦席から遠隔操作するのではなくドアに取り付けられ、乗員が直接射撃を行う。M60シリーズとほぼ共通であり、空冷、ガスオペレーション、ベルトリンク給弾式である。他のバージョンと異なる点としては、スペードグリップ(銃床を外したあとに取り付け、両手で保持しながら撃てるグリップ)になっていること、照準が円形に変更されていることと、メタルループなどにより給弾方式が改善されていることが挙げられる。排出された空薬莢や分解したリンクが、ローター(回転翼)やエンジンの吸気口に支障しないように、キャンバス・バッグ式のカートキャッチャーが付いている。
M60Dは、次の機種で使われた。ACH-47Aを除き、基本的に両側のドアに取り付けられた。
UH-1B イロコイス(M23、XM29、M59、サガミ・マウントを使用)
CH-47 チヌーク(M24、M41マウントを使用)
ACH-47A ガンシップ(XM32、XM33マウントを使用)
UH-60 ブラックホーク(M144マウントを使用)
なお、サガミ・マウント (Sagami mount)は、 相模原補給廠で製作されたためにこの名がある。
民生用バージョン:
セミオートマチック(連射不可能)にしたバージョンが、アメリカ国内で市販された。連射を不可能にするために、広範囲の箇所に修正が施された。アメリカ国内においては、アルコールタバコ銃火器管理局(BATFE)により、これらはベルト給弾式自動小銃として取り扱われる。しかしながら、州法や条例は適用対象となる。
U.S.オードナンス社は、サコー社から軍用M60と、その部品の生産について許諾を受けた主要なメーカーである。しかしながら、U.S.オードナンス社は、その生産設備が軍用のために必要となるので、民生版半自動M60の販売を2006年まで延期した。民間人が新しい半自動M60を購入するためには、8,000ドルを要する。
たくさんの旧式オートマチック版が市場に流れているが、これを購入するためには多くの法的必要要件を満たさなければならない上に、費用が20,000~30,000ドル以上かかる。これは、1986年以来の、アメリカにおける自動火器の生産に対する制限に起因する。
(Wikipediaより)
M60機関銃 (M60 Machine Gun) は、アメリカ合衆国の機関銃である。7.62×51mm NATO弾を使用する。ベトナム戦争を初めとして、多くの実戦で使用された。現在のアメリカ軍においては、後継機関銃のM240(MAG-58)や、さらにその後継のM249(ミニミ分隊支援火器)に置き換えられつつある。しかしながら、この機関銃は様々な用途で残っている。さらに、オーストラリアなどいくつかの国では現在も使われており、生産も続けられている。
概要:
M60は、攻撃状況にも防御状況にも使うことができる。攻撃においては、M16よりも大口径の銃弾を、高い発射速度で長い有効射程範囲内に発射することができる。防御においては、長射程でも近接戦でも、最終防衛手段としても使うことができる。このように、M60は部隊の戦術計画に多様な形で組み込むことができる。
M60は、オプションの三脚を使用した場合、1,100mが有効射程となる。また標準装備の二脚を使用した場合では、800mが有効射程に、点標的に対しては600m、移動する標的に対しては200mが有効射程となる。アメリカ海兵隊の方針では、銃手が熟練している場合、M60やそれと同等クラスの武器は面射撃や制圧射撃で1,500mが有効射程とされている。
M60は部隊員にとって役立つ武器と考えられている。一人の場合よりも、二人で運用した方が効果が高い。一人は射手で、一人は装填手となる。射手はM60本体を運び、装填手は予備の銃身と弾薬を運ぶ。基本的には、600-900発を携帯する。これは発射速度を最高速と考えた時に、およそ2分間弱の持続射撃ができる弾数である。
ベトナム戦争においては、数々の部隊で分隊支援火器として使われ、分隊のほぼ全員が予備の銃身か、少なくとも200発のM60用弾薬、あるいはその両方を、自分用の小火器と一緒に携帯した。
開発と使用経緯:
M60の開発は新型 7.62mm 軽機関銃 (lighter 7.62 mm machine gun) として、1940年代の後半から始まった。設計には、それ以前の優れた武器のものを積極的に取り入れ、独自の改良を加えた。具体的には、次の事項のようなものである。
プレス工法の積極的取り入れ:ショーシャ軽機関銃(第一次世界大戦で最も大量に生産された)
ベルト給弾方式:ブローニングM1916機関銃(A6型、ないし、その後のモデル)
ベルト給弾の機械的構造:MG42機関銃
バレルの素早い交換:チェコのZB 1930
銃把(ピストルグリップ)と銃床(ストック)
また、M60はガスオペレーション方式を採用しているが、これはFG-42を参考にしたと言われている。また、あるソースでは、ルイスガンの機構を借りたものとも言われている[1]。
ソースは何であれ、ガス動作オペレーションシステムの複雑さに起因する信頼性の低さは、この銃に関する共通の批判であった。しかしながら、この機構は米軍やその他の機関によって、1957年から現在まで使われ続けている。この銃に関する評判は良いものから悪いものまで広く存在し、批判は使用者がどのバージョンを使ったかに依存する。
この機関銃のM249 MINIMIへの交換は、1980年代の一部の作戦から始まった。また、1991年に制式採用されたM240機関銃(FM MAGのライセンス生産品)への交換が、20世紀の終わり頃から始まった。M240はM60よりはるかに重いが、その高い信頼性から重用されている。
M60はまた、陸軍ヘリのドアガンとして2000年代にも使用され続けた。また、米軍特殊部隊において7.62mm機関銃として1990年代の終わり頃まで、さらにSEALs(米海軍特殊部隊)によって1990年代から最近まで使われ続けた。現在に至るまで、アメリカ沿岸警備隊や、多数の予備役部隊によって使用されているが、これはM240の各バージョンに段階的に置き換えられている。しかし、M60はまだ米軍や特殊部隊、その他の部隊によってまだまだ使われ続けるであろう。
M60の使用自体は続くものの、使用中の武器がゆるやかに摩耗していくことと、新しい代替機関銃が導入されること、また新しい任務に応じて新しい武器が支給されることと併せて、先細りになっていくであろう。しかし、M60を使い続けるグループは予備を保存しておくであろう。ある部隊がM240などを支給されたとき、M60よりさらに古い武器を使っている予備部隊にそれを回し、代わりにM60を受け取ったかもしれない。M240機関銃自体は、計画中の新しい軽量7.62mm機関銃により置き換えられる予定である。
設計:
M60はガス動作式、空冷式、ベルト給弾式の機関銃であり、オープンボルト位置から薬室に7.62mm NATO弾を装填する。弾薬は、金属製分割式リンクで連結された100発単位のベルトで給弾される。他の武器と同様、立射、膝射、腰だめ射撃ができるが、最も使用効果が高いのは、二脚を使用した伏射か、三脚に乗せて、3発から5発までのバースト射撃を行った場合である。
この武器は重く、支持なしでの射撃は照準が難しいが、重量自体は連射による反動を抑える方向に働く。全長に渡って直線的な設計は、操作ロッドとバッファが銃床まで直接後退し、全長を短くすることに成功している。 大きなグリップは、腰の位置で持ち運ぶのに非常に便利である。また、実弾を工具代わりに使って分解することができる。
設計への批判と問題点-
試験場でテストされた時には、M60はきわめて有効と判断された。しかし、すぐに使用することとなった東南アジアのジャングル内では、初期のバージョンはすぐに数々の厳しい問題点を露呈した。重さ自体が問題だったという人も少なくないようだが、このタイプのベルト給弾式機関銃はおしなべて重いものである。M60は、同時代の7.62mm機関銃の中では最も軽く、代替品のM240より軽いほどである。
ベトナムの部隊からの最も一般的な苦情は、M60は信頼性が低く、特に伏射して汚れた時にジャム(弾詰まり)を起こしたり、他の動作不良を起こしたりすることであった。M60の機関部は複雑で、砂埃で即座に動作が停止してしまう傾向がある。このことは、イスラエル国防軍がM60を不採用とした最も重要な理由の一つとなった。この機関銃は、M1918ブローニング自動小銃(BAR)よりも清掃とメンテナンスが難しかった。また、ジャングルでない普通の状態でも、数千発を発射するとしばしば弾詰まりを起こした。これは実戦においては非常に深刻な問題である。しかし、適切にメンテナンスされていれば、非常に有効な武器であった。M60は、歩兵用途としてはM240やM249に代替されたものの、航空機、艦船、特殊部隊で使用されるために残された。
安全装置(セイフティー)は取り扱いが厄介で、特にM16やM1911A1コルト・ガバメントで訓練された兵士にとっては間違った使い方をされた。他の武器では銃の発射準備ができた時にセイフティーを下に移動させるところ、この銃では上に移動させるようになっている。
M60の信頼性についての評価は、バージョンに依存するものの、あまり高くない。特に汚れがひどい時に、薬莢排出サイクルの間に空薬莢の排出ジャムを起こしがちで、たいていは空薬莢のリムを引きはがさなければならない。この解消には時間がかかった。また、バレル・ラッチ機構(レバーが前後動する)は、射手の装備に引っかかり、ラッチが閉鎖せず、結果、バレルが脱落するという結果を引き起こしがちであった。このレバー機構は、緊急時にリリースする時のためのような、押しボタン式に改修された。しかし、レバー機構は未だに残っており、この銃が制式採用されてから40年間経った今でも、この問題は再発している。グリップとトリガーのアセンブリは、他の設計でよくある取り外し可能ピンではなく、壊れやすい板バネクリップで取り付けられている。このクリップは、最初にアバディーン試験場で試験された時に、壊れやすいことを指摘されたことが知られている。戦地でのM60は、粘着テープやケーブル結束タイが付いているのが時々見受けられるが、これはクリップが壊れたために現地部隊が取り付けたものである。
初期のM60における最も深刻で致命的な部品は、レシーバ・カバーと給弾トレイである。これらはプレス加工された非常に薄い鉄板であり、曲がったり割れたりする傾向にあった。より頑丈な部品が供給されるようになったのは、1970年代初期である。さらに、初期のM60では、ドライビング・スプリング・ガイドとオペレーティング・ロッドが細すぎ、またピストン・ヘッドの後ろにあるガス・ピストンは非常に小さいものだった(これは軽量化のためである)。これらは、部品の破損しやすさに結びつきやすかった。しかし、1970年代には頑丈な部品設計に変更され、ゆるやかに補給されていった。
他のいくつかのバージョンのM60における問題として、FN MAGやPK、ラインメタルMG3など、銃身が交換可能な7.62mm汎用機関銃の二脚がガス・チャンバーまたは銃身シールドにつけられていたのに対して、M60では銃身そのものに付けられていた。これは命中精度に影響するので、必要な程度に頑丈な太さにされた銃身に交換された。
アメリカ海兵隊の大部分の部隊では、M60を特に軽蔑しており、その代わりにしばらくの間は非制式になっていたブローニング自動小銃(BAR)を、1967年から1968年まで公式に使い続けていた。1980年代半ばには海兵隊用にも、8.61kgに軽量化されて、わずかながら信頼性の改良を含む設計が施されたM60E3が支給された。しかしながら、ユーザーはすぐに過熱する銃身について苦情を申し立てた。これは他のM60と共通の問題である。M60E3の軽量銃身が、200発の持続発射で交換するところ、100発の持続発射で交換を要求することが、さらにこの問題を悪化させた。しかし、M60E3の銃身はワイヤと銃尾近くのプラスチック・ハンドルで、ミトンなしに安全に交換することができる。
1991年に、M60は米軍として正式に、ベルギー設計のFN MAG機関銃、制式名M240に交換されることになった。しかしながら、多数のM60がアメリカ陸軍予備役部隊と州兵部隊で使われ続けた。1967年の開発以来、改良を重ねてきたものの、苦情の種となっている。また前述の通り、特殊部隊と、ヘリ用ドアガンとしては最前線に残り続ける。これは、2000年代内に開発される予定のM240の派生バージョンで交換される予定となっている。最終的には、残存するM60と現役のM240は、双方とも新しい軽量型7.62mm機関銃と交換される計画となっている。
弾薬:
M60シリーズは、多様な弾薬を発射することができる。最も一般的なのがM61徹甲弾(AP弾)、M62曳光弾、M80通常弾、そしてM63模擬弾とM82空砲である。弾芯がタングステンでできた新しいM993徹甲弾もM60で使用することができるが、M60を現役で使っている部隊にはかなり経ってからでないと支給されなかった。空砲を連射で発射する場合には、発射速度に応じてM13またはM13A1空砲アダプター(Blank Firing Adapter = BFA)を取り付ける必要がある。これらの弾薬はすべて、NATO標準の金属製分割リンクで供給される。
M60でのごく標準的な戦闘時の弾薬配列は、4発のM80通常弾に対して1発のM62曳光弾である。4:1の配置は、射手が標的に対して正確に「着弾を歩かせる」ことを可能とする。経験を積んだ射手は、曳光弾が通常弾と必ずしも同じ飛び方をするとは限らないことを熟知している。銃の照準を使用する時、曳光弾が燃え尽きても目に見えないところで、特に800mを超えた範囲で通常弾が着弾していることを知っている。この問題は、この口径およびこれより小さい口径(5.56mmを使用するM249(MINIMI)など)では共通の問題である。曳光弾と通常弾の重さが根本的に異なることが理由である。特に5.56mmの曳光弾は最悪の場合300mで燃え尽きてしまうため、問題として顕著である。
弾薬一覧
M61 徹甲弾(AP弾 = Armor Piercing)
M62 曳光弾(tracer)
M80 通常弾
M82 空砲(空砲発射用アタッチメントの取り付けが必要)
M63 模擬弾(ダミー)
これらはM13リンクで連結される。リンクは射撃後に自動的に分解され、空薬莢とともに排出される。
派生型:
長期間に渡って生産されたM60には、多数の派生型が存在する。ほとんどの派生型は、初期の設計に由来する問題を改修した。それとは別に、ヘリ用と戦車用に開発された二つのバージョン(M60CとM60D)がある。
派生型のまとめ:
T161 - M60の開発名称で、このタイプが制式化されるまでの1950年代の分類。プロトタイプ版、及び競作に勝った最終テストモデル(T161E3)まで含む。
M60 - 基本モデルだが、メーカー間での細かな違いと、時間の経過による細かな改修も含む。1960年代に最も多用された。
M60E1 - 最初の改良版で、E3・E4バージョンに引き継がれたものや、それまでのM60生産上の数々の特徴を含んでいるが、量産はされなかった。
M60E2 - 同軸機銃用として使うための車両版。
M60E3 - 1980年代に採用された軽量化版。
M60E4(Mk 43 Mod 0) - E3に似ているように見えるが、多くの改良点を持っている改修版。海軍でも使用されたものと、その副派生型も含む。Mk 43 Mod 0はレールの取り付けを含むスペシャル版。
M60B - 1960年代、ヘリコプターの中で使用された。ただし、マウントはされていない。
M60C - 航空機内で使用するための固定マウント版。
M60D - M60Bを置き換える目的の可動マウント版で、特にヘリコプター内で使うために開発されたが、他の目的にも使用されている。
M60-
基本型。1950年代終わりにアメリカ陸軍で制式化された。この時点では、歩兵用途しか考慮されていなかった。1950年代のT161(特にT161E3)とT52の競作の結果、T161が採用された。両方とも同様の給弾機構とガス・オペレーションシステムを採用していたが、T161の方がより量産に適していると判断された。
M60E1-
M60E1は、M60基本型の最初のバージョンである。主な変更点は、ガス・シリンダーと銃身、二脚の接続方式で、基本型では、これらはすべて接続されていた。いくつかのソースでは、M60E1は制式採用されなかったと主張しているが、異なる主張をしているソースもある。どちらにせよ、M60E1自体は量産に組み入れられなかったものの、その後のバージョンに影響を与えている。また、1966年からは、M60E1のいくつかの改良点に基づいてM60が改修されている。もう一つの大きな変更点は、二脚の取り付け位置が(M60E3のように)バレルでなくガス・チューブに移されたことである。E3/E4のような、前方の垂直グリップは取り付けられていない。
M60E2-
M60E2は、同軸機銃など、装甲車両への取り付けを目的として開発され、M48A5戦車やM60戦車などのパットン戦車シリーズ、韓国のK1戦車で使われた。主な変更点としては、外装の大幅な省略、銃床や銃把の取り外し等である。発射指令は電気的に行うが、手動で引き金を引くバックアップも残されている。弾薬の供給にはメタルループ(金属で弾帯を誘導する部品)を使用している。銃身の下のガス・チューブは、バレルの長さに合わせて延長されており、車両の形状に合わせて外形が折り曲げられている。このバージョンは、1970年代の試験で平均故障発生間隔(MTBF)は1,669時間と判定されたが、これはFN MAGよりも悪い数値であるため、1977年から同軸機銃はM240に置き換えられた。
M60E3-
M60E3は、初期のM60の数々の問題点を解決したものとして、1986年頃から歩兵部隊が使用する火器として実戦配備された。これは軽量で「改修された」バージョンとして、射手の負担を軽くする目的もあった。それまでの同シリーズとは異なり、数々の現代的な改良がなされている。
レシーバ部に取り付けられた、より安定した二脚
左右どちらの利き手にも対応
汎用スリング(負い革)アタッチメント
銃身の上にキャリング・ハンドルを取り付け
ガス・システムを簡略化
しかしながら、これらは改良された点と同じぐらい、問題を引き起こした。また、銃身が軽くなったが、この銃身では200発を持続発射することは危険となった。しかしながら、何人かの兵員は、持続発射が可能な成功した銃器であると証言している。この銃身のライナーにステライト合金が使われたことが、このことを可能にしたと考えられる。しかし、このような持続発射はすぐにオーバーヒートを引き起こし、銃を使用不能にしてしまう。
これらの軽量化は、この銃器自体の寿命も短くしてしまい、基本型よりも部品がすぐに摩耗・破損する傾向にあった。アメリカ陸軍とアメリカ海兵隊の大部分の部隊は、汎用機関銃としてM240に切り替えた。これはM60E3より2.7kg重いが、(特に使用環境が汚い場合に)その頑丈さと信頼性から、より好まれているようである。
M60E3には、銃身が重いタイプと軽いタイプの、二つのタイプがある。
M60E4 (Mk 43 Mod 0)-
これはM60E3のコンパクト版である。M60E3の短銃身版に見えるが、より多くの改良点が含まれている。このバージョンは、海軍ではMk 43 Mod 0として制式化されているが、M60E4と同じものである。特徴としては、前方に垂直銃把(ピストルグリップ)が取り付けられ、より信頼性を上げたものである。
M60E4は、1990年代のM240E4と呼ばれた版と、アメリカ陸軍での旧型M60置き換え用歩兵用支援火器の競作で対抗した。結果、M240E4が勝ち、これはM240Bと名付けられた。この結果、1,000丁近くのM240が、改修オーバーホールと改修(銃床の交換、レールの取り付けなど)のために、FN社に送られている。1990年代の終わりには、M240はすべてM240Bに置き換えられた。このとき、M60E4で改修されたような、油圧による反動抑制装置が組み込まれている。M240BはM60E4より重いが、試験により信頼性が確認された。さらに、これらを置き換えるための新型軽量機関銃の開発が、2000年代初頭より計画として進行している。
Mk 43 Mod 1は、M60E4 (Mk 43 Mod 0)の修正版で、より短い銃身と、垂直銃把の変更、レールの改良が行われている。
MK46 Mod 0 M60E4の全長を短くした短小モデル、SEALsに採用されMK46 Mod 0の正式名を得る。 MK46 Mod 1 (ミニミの短小モデル)とは別物。
M60B-
M60Bは短命に終わったバージョンで、1960年代に少数が配備されたに過ぎない。ヘリコプターから射撃するために作られたが、どこにもマウント(取り付け)されていないため、射手がずっと保持しておかなければならない。これはすぐにマウント版のM60Dに置き換えられた。M60Bの基本型との違いは、二脚がないことと、銃床の形が異なることである。しかし、ピストルグリップはそのまま残されており、スペードグリップになっていない。
M60C-
M60Cは、M60基本型の航空機搭載用バージョンである。最も重要な違いは、M60Cでは電気的制御により遠隔操作で発射することと、そのために油圧による回転装置が組み込まれていることである。機長または副機長が、コクピットから制御することができる。空冷、ガスオペレーション、ベルトリンク給弾式である点は変わらない。これはM2、M6、M16火器システムに組み込まれた他、OH-13 スー、OH-23 レイブン、UH-1Bイロコイス、OV-10 ブロンコに搭載された。
M60D-
M60Dは、M60基本型のマウント版である。これはヘリコプターのドアガンだけでなく、ボートや車両にも取り付けることができる。航空機で使用する場合には、M60Cのように操縦席から遠隔操作するのではなくドアに取り付けられ、乗員が直接射撃を行う。M60シリーズとほぼ共通であり、空冷、ガスオペレーション、ベルトリンク給弾式である。他のバージョンと異なる点としては、スペードグリップ(銃床を外したあとに取り付け、両手で保持しながら撃てるグリップ)になっていること、照準が円形に変更されていることと、メタルループなどにより給弾方式が改善されていることが挙げられる。排出された空薬莢や分解したリンクが、ローター(回転翼)やエンジンの吸気口に支障しないように、キャンバス・バッグ式のカートキャッチャーが付いている。
M60Dは、次の機種で使われた。ACH-47Aを除き、基本的に両側のドアに取り付けられた。
UH-1B イロコイス(M23、XM29、M59、サガミ・マウントを使用)
CH-47 チヌーク(M24、M41マウントを使用)
ACH-47A ガンシップ(XM32、XM33マウントを使用)
UH-60 ブラックホーク(M144マウントを使用)
なお、サガミ・マウント (Sagami mount)は、 相模原補給廠で製作されたためにこの名がある。
民生用バージョン:
セミオートマチック(連射不可能)にしたバージョンが、アメリカ国内で市販された。連射を不可能にするために、広範囲の箇所に修正が施された。アメリカ国内においては、アルコールタバコ銃火器管理局(BATFE)により、これらはベルト給弾式自動小銃として取り扱われる。しかしながら、州法や条例は適用対象となる。
U.S.オードナンス社は、サコー社から軍用M60と、その部品の生産について許諾を受けた主要なメーカーである。しかしながら、U.S.オードナンス社は、その生産設備が軍用のために必要となるので、民生版半自動M60の販売を2006年まで延期した。民間人が新しい半自動M60を購入するためには、8,000ドルを要する。
たくさんの旧式オートマチック版が市場に流れているが、これを購入するためには多くの法的必要要件を満たさなければならない上に、費用が20,000~30,000ドル以上かかる。これは、1986年以来の、アメリカにおける自動火器の生産に対する制限に起因する。
(Wikipediaより)
機関銃紹介(II)
M240機関銃
M240機関銃( - きかんじゅう、M240 Medium Machine Gun)は1970年代から使用され始め、アメリカ軍で広範にわたって使われている、7.62mm NATO弾を発射する、中量級の汎用機関銃である。基本的にはNATO加盟国軍が採用しているFN MAGをアメリカ軍向けに改修設計したもので、他の機関銃と違い、まず同軸機銃として採用され、後に歩兵用に採用されたという経緯を持っている。
アメリカ軍において、歩兵部隊、戦車の同軸機銃、車輌・ヘリ・舟艇への搭載用まで幅広く運用されている。中量級の機関銃としてはもっとも軽く、高い信頼性を持っている。また、結果的にNATO諸国との火器の標準化を果たしたこととなり、これらの点が高く評価されている。
概要:
M240の制式名はシリーズ全体を識別するために割り振られている。しかし、この他にも特殊モデルや同軸機銃モデルが存在する。多数の派生形が運用に就いているが、大まかには次のように分類される。
M240 - 1977年に陸軍が戦車の同軸機銃として採用した。このバージョンはFN MAGの改修型であり、それまでのM60E2やM219などの従来の同軸機銃(MG3やAA-52の同軸機銃バージョンも含む)を置き換えた。1980年代にはM1エイブラムス戦車の同軸機銃として採用された。
M240E1 - 1980年代に海兵隊が装甲車搭載機銃として採用した。
M240G - 1994年に海兵隊が採用し始めたバージョンで、歩兵が携行する他、車輌搭載用としても採用された。
M240B - 1991年から陸軍が地上戦用として配備し始めたバージョン。反動吸収バッファと前部過熱ガード(熱シールド)を装備している。他の軽機関銃を置き換えるために採用された。
すべてのモデルは、射撃直後に自動分解する金属製ベルトリンクM13により7.62mm NATO弾(通常弾、曳光弾、徹甲弾など)を給弾する方式となっている。これらの派生形は全て機関部が共通となっており、重要パーツすら他のモデルやNATO加盟国のFN MAG(またはその派生形)と交換が可能になっている。これらのモデルとM240の主要な相違点は、重量と若干の特徴(反動吸収バッファなど)である。製造は、武器に関して長い歴史を持つFN社の、アメリカ子会社で行われている。
歴史と設計:
M240はアメリカ軍のための汎用機関銃として選ばれ、サウスカロライナ州コロンビアにあるFN Manufacturingで製造されている。異なる役割のために多数の派生形が運用されているが、特に戦車の同軸機銃として使われているM60が、減耗して使用できなくなり次第、順次M240に交換されていった。
M240はベルト給弾式・ガス直圧式・空冷式・ヘッドスペース固定式の機関銃である。用途により二脚、またはM122A1三脚で運用されるか、あるいは車輌の同軸機銃・搭載機銃、ヘリコプター用のドアガン、舟艇用の搭載機銃として使用される。しかしながら、未だにM60が車輌搭載機銃・ヘリコプター用ドアガンとして残っている。
前述の通り、1977年に陸軍により戦車の同軸機銃として初めて使用され、以来ゆるやかに1980年代から1990年代にかけて各種用途に採用されてきた。以後、陸軍と海兵隊の歩兵部隊のために汎用機関銃として採用され、これらの実績がさらに用途を広げることとなった。どのような用途に対しても、機関部の基本的な機構は同一であるため、従来の各種機関銃、特にM60に比べてメンテナンスや部品交換に融通が利くこともこの傾向を後押しした。M240はM60よりはるかに複雑なガス反動システムを持つが、より少ないメンテナンス間隔でより高い信頼性を確保している。
他の機関銃と比較して重いこともあり、動作不良発生平均間隔弾数 MRBF (Mean Rounds Between Failure) が26,000発と、古い設計の重機関銃と同程度の信頼性があると実証されている。
M240とM60、およびいくつかのM249 MINIMIは、開発中の新軽機関銃 (JSSAP/PMSW) に置き換えられる予定である。同様にFN社の製品であるSOCOM用途の新7.62mm機関銃 Mk 48 Mod 0(M249を大口径にして全体を小型にした派生形)は、2006年から特殊部隊で採用され始めている。
初期の歴史-
試験と派生
M240の採用にあたっては、1960年代後期から1970年代初期にわたって検討された7.62mm同軸機銃(およびM85 50口径 (12.7mm) 同軸機銃)更新プロジェクトが発端となっている。この計画は1980年代から運用する同軸機銃を選定することが主目的であったが、同時に歩兵用途・車輌搭載用途としても転用できるように考慮したものであった。さらに1990年代から2000年代にかけて、別の用途にも応用できるように見越してあった。
この計画が進行している間、1970年代に陸軍は装甲車・車輌搭載用の新しい7.62mm機関銃を探していた。1950年代のM73はトラブルが多く、これを元に開発されたM73E1・M219(注:MINIMIはM249)は大して改善されなかった。このため、他国のいくつかの機関銃を採用することも検討され、最終的にはM60E2とFN MAGに絞られた。M219を含め、これらは大規模な射撃試験にかけられた。
採用経緯から、特に二つの重要な要因が重点的に試験された。
射撃停止発生平均間隔弾数 MRBS (Mean Rounds Between Stoppages、数分以内に解決するジャム)
動作不良発生平均間隔弾数 MRBF (Mean Rounds Between Failure、例えば部品の破損)
この試験の評価結果は下記の通り。
形式 発射弾数 MRBS MRBF
FN MAG 58 50,000 2,962 6,442
M60E2 50,000 846 1,669
M219 19,000 215 1,090
基準最低値 850 2,675
要求最低値 1,750 5,500
注意すべき点は、このリザルトは1970年代に製造されたものの試験結果であるということである。M240自体もFN MAGに対して幾分かの改良を施され、M60E2も同軸機銃版に特化された。M60の性能は派生形により異なり、改良された派生形、例えばM60E4やM60Cでは結果が異なることが予想される。
テストの結果、FN MAGのみが完全に要求を満たし、満足できる結果を出して陸軍のコンペに勝利し、1977年に「M240」と制式化された。1980年代の間に同軸機銃と車輌搭載用機銃を置き換えた。後に歩兵部隊用にM240B・M240Gとして採用された。1991年から陸軍の作戦で運用され、また海兵隊においては摩耗したM60E3を置き換えるために配備された。ただし、必ずしもM60のすべての用途をM240が置き換えるという訳ではない。
派生形:
M240の元となった7.62mm NATO弾使用のFN MAGは、MAG 58などの異名を持つ。アメリカで製造されたM240とその派生形はMAG 58と基本的に同じ性能を持ち、内部機構も同一であるため、NATO加盟国間で消耗品や交換部品を相互に使うことができる。これは、訓練・兵站・戦術的な融通・共同作戦を行うにあたって重要な利点となる。例えば、車輌が攻撃を受けるか行動不能に陥り、車輌を放棄せざるを得なくなった場合、持ち運んで使用することができるように、車輌にM240Bの予備の銃床と二脚を搭載しておくといったことが可能となる。
M240-
1977年に基本型として陸軍により採用された同軸機銃で、1980年代を通してM73・M219 7.62mm同軸機銃とM85 12.7mm同軸機銃を置き換えた。海兵隊はまずM240やM240E1をLAV-25装甲車の同軸機銃として搭載した。同軸機銃・搭載機銃用の派生モデルにM240Cがある。
M240E4 / M240B-
旧式のM60を置き換えるため、1991年に行われた陸軍の新歩兵部隊用機関銃コンペにおいて、M60E4 (海軍名 Mk 43) と競い、1991年にM240Bとして制式採用された。このことは、1,000挺近い既存のM240基本型を、オーバーホールを行った上で地上戦用改修キット(銃床、ピカティニー・レール含む)を取り付けるためにFN社に送ることに結びついた。このことは、1990年後半に新しいM240Bを調達する契約に結びついた。ただし、後期に調達されたものは、M60にも採り入れ居られた油圧式反動バッファの取り付けが行われている。M240Bは信頼性においてM60を凌駕したが、M60E4よりも2.5kg重いため、前述の通り新しい軽量機関銃が計画されている。陸軍のM240からM240Bへの改修と、海兵隊の多数のM240/M240E1からM240Gへの改修とは混同されやすいが、別のものである。
M240C-
M240Cは、M240同軸機銃を逆側(左側)から給弾するようにしたバージョン。
M240E1 / M240D-
M240Dは2通りの使用法を想定している。航空機搭載用と車載機銃用である。航空機版に用意されたM240Dは、前部照準と後部照準、引き金まわりがスペードグリップ仕様(銃床の代わりにハンドルと引き金が付いている)になっている。車載機銃版は「歩兵携行キット Infantry modification kit」が用意され、車輌が行動不能になった際に、機銃を取り下ろしキットを装着することで携行し、脱出時・緊急時の火力を上げられるように設計されている。
M240DそのものはM240E1の改修版で、主に機関部カバーへのピカティニー・レールの取り付けが特徴になっている。M240DとM240E1はスペードグリップにより、柔軟な運用ができる。
M240G-
M240Gはは、海兵隊が採用したM240の派生形の一つであり、しばしば"240 Golf"と呼ばれる。海兵隊ではM60E3をM240Gで置き換えている。海兵隊でのM240Gの運用は、歩兵用、車載用、ヘリ搭載用と幅広い。
M240G自体は、車載機銃として最初に採用されたオリジナルのM240 / M240E1同軸機銃と同一設計である。M240G付属の「歩兵携行キット」は、フラッシュハイダー、前部照準、銃身用キャリングハンドル、銃床、歩兵型ピストルグリップ、二脚、後部照準ASSY)からなる。これらを全て装着しても、M240Bよりも1kgほど軽くなる。
製造者:FNマニュファクチュアリング(FN社のアメリカ子会社)
全長:1246.6mm
重量:11.6kg
口径:7.62mm
最大有効射程:1,800m(三脚使用時)
最大射程:3,725m
発射速度:
間欠的:650-950発/分(調整可能)
急速射撃:200発/分
持続射撃:100発/分
調達価格:6,600ドル
M240E5 / M240H-
M240HはM240Dの改修型であり、しばしば"240 Hotel"と呼ばれる。機関部にピカティニー・レールを取り付け、また予めフラッシュハイダーが取り付けられ、歩兵携行キットの取り付けが簡単になっている。
M240E6-
M240E6は現在テスト中の次世代バージョンである。基本的な歩兵用モデルのうち、特に問題になっている重さの問題を解決するために、機関部にチタン合金を使用して軽量化を図っている。
操作方法:
発射手順-
発射可能にするには、まず装填ハンドルを手前に引いて遊底(ボルト)を後部に固定し、武器を安全な場所に置いた後で装填ハンドルを前に押し出す。その後で給弾カバーを開き、給弾トレイに弾薬ベルトを載せる。給弾カバーを閉じれば発射可能となる。
射撃が終わったあと、携行のため武器をクリアにするためには、遊底を後部に固定し、武器を安全な場所に置く。給弾カバーを開け、もし給弾ベルトが残っていれば給弾トレイから外し、弾薬が薬室に残っていないかどうか、給弾トレイと遊底の前面を目視で確認する。トレイ上に給弾リンクや空薬莢が残っていれば撤去する。
もし不幸にも遊底の先端に実包が見えた場合は、清掃用ロッドか堅いものでゆっくり叩きながら実包を取り外す。もし薬室に実包が残っている場合、かつ、銃身が加熱している場合には、射手はすぐに銃から離れ、実包を取り出すことができるかどうか検討しなければならない。銃身がじゅうぶんに冷えるのを待ってから実包を取り外す。この手順を省いた場合、給弾カバーを開けたまま銃身を交換しようとすれば、弾薬がすぐに撃発する原因となり得る。
実包を取り除き安全にしたあと、一度引き金を引いてから、装填ハンドルを手前に引く。これで、この武器は安全な状態となる。
これらの手順は、確認漏れの場合などに実弾発射の原因となるので、銃身が安全な方向を向いている状態で作業しなければならない。
発射速度の変更-
発射速度は3段階に調整できる。初期設定では750発/分となっている。他の二つの設定は100発/分と、850-950発/分である。これらの設定は、まず銃身を取り外し、ガス調整弁を取り外し、レギュレータを回すことで変更可能である。作戦中に設定を変更することは望ましくないので、作戦実行前に調整すべきである。
銃身の交換方法-
銃身は非常に素早く交換できる。武器の左側に銃身交換ボタンがある。武器をクリアにした後、交換ボタンを押す。銃身は機関部から外れ、中程から右側に動く。ここでボタンを離し、機関部から外れた銃身を、キャリングハンドルを使って手前に引き抜く(キャリングハンドルは銃身に直接付いている)。次に新しい銃身を差し込んで機関部にセットし、キャリングハンドルを右に倒して定位置にロックする。
発砲が長時間に及んだ場合、むき出しの皮膚と銃身が触れないように気をつけなければならない。銃身は熱くないように見えても、第二度のやけどを起こすのに十分な熱をもっていることがある。このような銃身は、暗視装置で見た場合に誰にでも明るく輝いて見える。
実戦報告:
2002年4月にナティック兵士センター Natick Soldier Center は、アフガニスタンでのアナコンダ作戦(en)でM240Bを使用した兵士から聴き取った結果を、次のように報告している。
実戦から得られたM240Bの戦訓:
17%の兵士が、装備していたM240Bで敵と交戦した。
42%の兵士は、アフガニスタンにおける部品調達(交換用銃身、ばね、小さいロールピン、T&Eピン、熱シールド、減耗したピン、予備銃身バッグ、清掃キット)が困難であるという問題を報告した。
1名の兵士は戦闘中に二重給弾が発生したと報告した。
50%の兵士は、弾薬を運ぶより良い方法(弾薬バッグなど)が必要であると報告した。
100%の兵士は、彼らの武器に自信を持っていた。
82%の兵士は、M240Bが信頼できる武器であると感じていた。
提案事項:スリング(吊りひも)の改善、軽量化、より耐久性の高い三脚と熱シールドが必要。
(Wikipediaより)
M240機関銃( - きかんじゅう、M240 Medium Machine Gun)は1970年代から使用され始め、アメリカ軍で広範にわたって使われている、7.62mm NATO弾を発射する、中量級の汎用機関銃である。基本的にはNATO加盟国軍が採用しているFN MAGをアメリカ軍向けに改修設計したもので、他の機関銃と違い、まず同軸機銃として採用され、後に歩兵用に採用されたという経緯を持っている。
アメリカ軍において、歩兵部隊、戦車の同軸機銃、車輌・ヘリ・舟艇への搭載用まで幅広く運用されている。中量級の機関銃としてはもっとも軽く、高い信頼性を持っている。また、結果的にNATO諸国との火器の標準化を果たしたこととなり、これらの点が高く評価されている。
概要:
M240の制式名はシリーズ全体を識別するために割り振られている。しかし、この他にも特殊モデルや同軸機銃モデルが存在する。多数の派生形が運用に就いているが、大まかには次のように分類される。
M240 - 1977年に陸軍が戦車の同軸機銃として採用した。このバージョンはFN MAGの改修型であり、それまでのM60E2やM219などの従来の同軸機銃(MG3やAA-52の同軸機銃バージョンも含む)を置き換えた。1980年代にはM1エイブラムス戦車の同軸機銃として採用された。
M240E1 - 1980年代に海兵隊が装甲車搭載機銃として採用した。
M240G - 1994年に海兵隊が採用し始めたバージョンで、歩兵が携行する他、車輌搭載用としても採用された。
M240B - 1991年から陸軍が地上戦用として配備し始めたバージョン。反動吸収バッファと前部過熱ガード(熱シールド)を装備している。他の軽機関銃を置き換えるために採用された。
すべてのモデルは、射撃直後に自動分解する金属製ベルトリンクM13により7.62mm NATO弾(通常弾、曳光弾、徹甲弾など)を給弾する方式となっている。これらの派生形は全て機関部が共通となっており、重要パーツすら他のモデルやNATO加盟国のFN MAG(またはその派生形)と交換が可能になっている。これらのモデルとM240の主要な相違点は、重量と若干の特徴(反動吸収バッファなど)である。製造は、武器に関して長い歴史を持つFN社の、アメリカ子会社で行われている。
歴史と設計:
M240はアメリカ軍のための汎用機関銃として選ばれ、サウスカロライナ州コロンビアにあるFN Manufacturingで製造されている。異なる役割のために多数の派生形が運用されているが、特に戦車の同軸機銃として使われているM60が、減耗して使用できなくなり次第、順次M240に交換されていった。
M240はベルト給弾式・ガス直圧式・空冷式・ヘッドスペース固定式の機関銃である。用途により二脚、またはM122A1三脚で運用されるか、あるいは車輌の同軸機銃・搭載機銃、ヘリコプター用のドアガン、舟艇用の搭載機銃として使用される。しかしながら、未だにM60が車輌搭載機銃・ヘリコプター用ドアガンとして残っている。
前述の通り、1977年に陸軍により戦車の同軸機銃として初めて使用され、以来ゆるやかに1980年代から1990年代にかけて各種用途に採用されてきた。以後、陸軍と海兵隊の歩兵部隊のために汎用機関銃として採用され、これらの実績がさらに用途を広げることとなった。どのような用途に対しても、機関部の基本的な機構は同一であるため、従来の各種機関銃、特にM60に比べてメンテナンスや部品交換に融通が利くこともこの傾向を後押しした。M240はM60よりはるかに複雑なガス反動システムを持つが、より少ないメンテナンス間隔でより高い信頼性を確保している。
他の機関銃と比較して重いこともあり、動作不良発生平均間隔弾数 MRBF (Mean Rounds Between Failure) が26,000発と、古い設計の重機関銃と同程度の信頼性があると実証されている。
M240とM60、およびいくつかのM249 MINIMIは、開発中の新軽機関銃 (JSSAP/PMSW) に置き換えられる予定である。同様にFN社の製品であるSOCOM用途の新7.62mm機関銃 Mk 48 Mod 0(M249を大口径にして全体を小型にした派生形)は、2006年から特殊部隊で採用され始めている。
初期の歴史-
試験と派生
M240の採用にあたっては、1960年代後期から1970年代初期にわたって検討された7.62mm同軸機銃(およびM85 50口径 (12.7mm) 同軸機銃)更新プロジェクトが発端となっている。この計画は1980年代から運用する同軸機銃を選定することが主目的であったが、同時に歩兵用途・車輌搭載用途としても転用できるように考慮したものであった。さらに1990年代から2000年代にかけて、別の用途にも応用できるように見越してあった。
この計画が進行している間、1970年代に陸軍は装甲車・車輌搭載用の新しい7.62mm機関銃を探していた。1950年代のM73はトラブルが多く、これを元に開発されたM73E1・M219(注:MINIMIはM249)は大して改善されなかった。このため、他国のいくつかの機関銃を採用することも検討され、最終的にはM60E2とFN MAGに絞られた。M219を含め、これらは大規模な射撃試験にかけられた。
採用経緯から、特に二つの重要な要因が重点的に試験された。
射撃停止発生平均間隔弾数 MRBS (Mean Rounds Between Stoppages、数分以内に解決するジャム)
動作不良発生平均間隔弾数 MRBF (Mean Rounds Between Failure、例えば部品の破損)
この試験の評価結果は下記の通り。
形式 発射弾数 MRBS MRBF
FN MAG 58 50,000 2,962 6,442
M60E2 50,000 846 1,669
M219 19,000 215 1,090
基準最低値 850 2,675
要求最低値 1,750 5,500
注意すべき点は、このリザルトは1970年代に製造されたものの試験結果であるということである。M240自体もFN MAGに対して幾分かの改良を施され、M60E2も同軸機銃版に特化された。M60の性能は派生形により異なり、改良された派生形、例えばM60E4やM60Cでは結果が異なることが予想される。
テストの結果、FN MAGのみが完全に要求を満たし、満足できる結果を出して陸軍のコンペに勝利し、1977年に「M240」と制式化された。1980年代の間に同軸機銃と車輌搭載用機銃を置き換えた。後に歩兵部隊用にM240B・M240Gとして採用された。1991年から陸軍の作戦で運用され、また海兵隊においては摩耗したM60E3を置き換えるために配備された。ただし、必ずしもM60のすべての用途をM240が置き換えるという訳ではない。
派生形:
M240の元となった7.62mm NATO弾使用のFN MAGは、MAG 58などの異名を持つ。アメリカで製造されたM240とその派生形はMAG 58と基本的に同じ性能を持ち、内部機構も同一であるため、NATO加盟国間で消耗品や交換部品を相互に使うことができる。これは、訓練・兵站・戦術的な融通・共同作戦を行うにあたって重要な利点となる。例えば、車輌が攻撃を受けるか行動不能に陥り、車輌を放棄せざるを得なくなった場合、持ち運んで使用することができるように、車輌にM240Bの予備の銃床と二脚を搭載しておくといったことが可能となる。
M240-
1977年に基本型として陸軍により採用された同軸機銃で、1980年代を通してM73・M219 7.62mm同軸機銃とM85 12.7mm同軸機銃を置き換えた。海兵隊はまずM240やM240E1をLAV-25装甲車の同軸機銃として搭載した。同軸機銃・搭載機銃用の派生モデルにM240Cがある。
M240E4 / M240B-
旧式のM60を置き換えるため、1991年に行われた陸軍の新歩兵部隊用機関銃コンペにおいて、M60E4 (海軍名 Mk 43) と競い、1991年にM240Bとして制式採用された。このことは、1,000挺近い既存のM240基本型を、オーバーホールを行った上で地上戦用改修キット(銃床、ピカティニー・レール含む)を取り付けるためにFN社に送ることに結びついた。このことは、1990年後半に新しいM240Bを調達する契約に結びついた。ただし、後期に調達されたものは、M60にも採り入れ居られた油圧式反動バッファの取り付けが行われている。M240Bは信頼性においてM60を凌駕したが、M60E4よりも2.5kg重いため、前述の通り新しい軽量機関銃が計画されている。陸軍のM240からM240Bへの改修と、海兵隊の多数のM240/M240E1からM240Gへの改修とは混同されやすいが、別のものである。
M240C-
M240Cは、M240同軸機銃を逆側(左側)から給弾するようにしたバージョン。
M240E1 / M240D-
M240Dは2通りの使用法を想定している。航空機搭載用と車載機銃用である。航空機版に用意されたM240Dは、前部照準と後部照準、引き金まわりがスペードグリップ仕様(銃床の代わりにハンドルと引き金が付いている)になっている。車載機銃版は「歩兵携行キット Infantry modification kit」が用意され、車輌が行動不能になった際に、機銃を取り下ろしキットを装着することで携行し、脱出時・緊急時の火力を上げられるように設計されている。
M240DそのものはM240E1の改修版で、主に機関部カバーへのピカティニー・レールの取り付けが特徴になっている。M240DとM240E1はスペードグリップにより、柔軟な運用ができる。
M240G-
M240Gはは、海兵隊が採用したM240の派生形の一つであり、しばしば"240 Golf"と呼ばれる。海兵隊ではM60E3をM240Gで置き換えている。海兵隊でのM240Gの運用は、歩兵用、車載用、ヘリ搭載用と幅広い。
M240G自体は、車載機銃として最初に採用されたオリジナルのM240 / M240E1同軸機銃と同一設計である。M240G付属の「歩兵携行キット」は、フラッシュハイダー、前部照準、銃身用キャリングハンドル、銃床、歩兵型ピストルグリップ、二脚、後部照準ASSY)からなる。これらを全て装着しても、M240Bよりも1kgほど軽くなる。
製造者:FNマニュファクチュアリング(FN社のアメリカ子会社)
全長:1246.6mm
重量:11.6kg
口径:7.62mm
最大有効射程:1,800m(三脚使用時)
最大射程:3,725m
発射速度:
間欠的:650-950発/分(調整可能)
急速射撃:200発/分
持続射撃:100発/分
調達価格:6,600ドル
M240E5 / M240H-
M240HはM240Dの改修型であり、しばしば"240 Hotel"と呼ばれる。機関部にピカティニー・レールを取り付け、また予めフラッシュハイダーが取り付けられ、歩兵携行キットの取り付けが簡単になっている。
M240E6-
M240E6は現在テスト中の次世代バージョンである。基本的な歩兵用モデルのうち、特に問題になっている重さの問題を解決するために、機関部にチタン合金を使用して軽量化を図っている。
操作方法:
発射手順-
発射可能にするには、まず装填ハンドルを手前に引いて遊底(ボルト)を後部に固定し、武器を安全な場所に置いた後で装填ハンドルを前に押し出す。その後で給弾カバーを開き、給弾トレイに弾薬ベルトを載せる。給弾カバーを閉じれば発射可能となる。
射撃が終わったあと、携行のため武器をクリアにするためには、遊底を後部に固定し、武器を安全な場所に置く。給弾カバーを開け、もし給弾ベルトが残っていれば給弾トレイから外し、弾薬が薬室に残っていないかどうか、給弾トレイと遊底の前面を目視で確認する。トレイ上に給弾リンクや空薬莢が残っていれば撤去する。
もし不幸にも遊底の先端に実包が見えた場合は、清掃用ロッドか堅いものでゆっくり叩きながら実包を取り外す。もし薬室に実包が残っている場合、かつ、銃身が加熱している場合には、射手はすぐに銃から離れ、実包を取り出すことができるかどうか検討しなければならない。銃身がじゅうぶんに冷えるのを待ってから実包を取り外す。この手順を省いた場合、給弾カバーを開けたまま銃身を交換しようとすれば、弾薬がすぐに撃発する原因となり得る。
実包を取り除き安全にしたあと、一度引き金を引いてから、装填ハンドルを手前に引く。これで、この武器は安全な状態となる。
これらの手順は、確認漏れの場合などに実弾発射の原因となるので、銃身が安全な方向を向いている状態で作業しなければならない。
発射速度の変更-
発射速度は3段階に調整できる。初期設定では750発/分となっている。他の二つの設定は100発/分と、850-950発/分である。これらの設定は、まず銃身を取り外し、ガス調整弁を取り外し、レギュレータを回すことで変更可能である。作戦中に設定を変更することは望ましくないので、作戦実行前に調整すべきである。
銃身の交換方法-
銃身は非常に素早く交換できる。武器の左側に銃身交換ボタンがある。武器をクリアにした後、交換ボタンを押す。銃身は機関部から外れ、中程から右側に動く。ここでボタンを離し、機関部から外れた銃身を、キャリングハンドルを使って手前に引き抜く(キャリングハンドルは銃身に直接付いている)。次に新しい銃身を差し込んで機関部にセットし、キャリングハンドルを右に倒して定位置にロックする。
発砲が長時間に及んだ場合、むき出しの皮膚と銃身が触れないように気をつけなければならない。銃身は熱くないように見えても、第二度のやけどを起こすのに十分な熱をもっていることがある。このような銃身は、暗視装置で見た場合に誰にでも明るく輝いて見える。
実戦報告:
2002年4月にナティック兵士センター Natick Soldier Center は、アフガニスタンでのアナコンダ作戦(en)でM240Bを使用した兵士から聴き取った結果を、次のように報告している。
実戦から得られたM240Bの戦訓:
17%の兵士が、装備していたM240Bで敵と交戦した。
42%の兵士は、アフガニスタンにおける部品調達(交換用銃身、ばね、小さいロールピン、T&Eピン、熱シールド、減耗したピン、予備銃身バッグ、清掃キット)が困難であるという問題を報告した。
1名の兵士は戦闘中に二重給弾が発生したと報告した。
50%の兵士は、弾薬を運ぶより良い方法(弾薬バッグなど)が必要であると報告した。
100%の兵士は、彼らの武器に自信を持っていた。
82%の兵士は、M240Bが信頼できる武器であると感じていた。
提案事項:スリング(吊りひも)の改善、軽量化、より耐久性の高い三脚と熱シールドが必要。
(Wikipediaより)
機関銃紹介(I)
グロスフスMG42機関銃
MG42機関銃 ( Maschinengewehr 42, MG42またはMG-42 )は、第二次世界大戦内の1942年にナチス・ドイツにより開発・供給された汎用機関銃。MG34に代表される、口径7.92mmライフル弾使用の機関銃を置き換える意図で開発されたが、結局MG34・MG42の両者ともに終戦まで量産され続けた。
経緯:
MG42はMG34を改善する更なる試み、特にコストダウンと量産性の向上を目的に、メタル・ウント・ラキーア・ヴァーレン・ファブリーク・ヨハネス・グロスフス株式会社("Metall- und Lackierwarenfabrik Johannes Großfuß AG"、以下「グロスフス社」)により開発された。内部構造はMG34のショートリコイル構造に類似しているものの、ボルトロック機構は回転閉鎖式ではなく、ポーランドのエドヴァルト・シュテッケ(Edward Stecke)から取得した特許を基礎にしたローラーロッキング機構を採用している。結果、MG34よりも泥や埃に強くジャミングしにくくなった。
1942年から本格的量産のための生産設計が、グロスフス社、マウザー・ヴェルケ社(Mauser-Werke、日本独自の間違った発音ではモーゼル)、グストロフ・ヴェルケ社(Gustloff-Werke)ほかとの契約のもとに開始された。戦時中の量産数は400,000丁を超える。内訳は、1942年:17,915丁、1943年:116,725丁、1944年:211,806丁、1945年:61,877丁。これを可能にしたのは、プレス加工の多用によりMG34のおよそ半分の人手や低いコスト(MG34は150人で327ライヒスマルク、MG42は75人で250ライヒスマルク)で製造できること、および金属を節約できる生産工程にあった。
MG42は、バイポッド(二脚)を含め11.6kgで、MG34より軽量となり可搬性が向上した。二脚は銃の前部または中央部に取り付けることができたが、取り付け具の形状が異なるためMG34との互換性はない。さらに銃身ジャケットの形状に合わせ、新たに銃架が改修された専用三脚 "Lafette 42" が開発された(三脚自体の重量は20.5kg)。
特徴:
前作のMG34同様、MG42もオープンボルトの反動利用式である。引き金は撃針を作動させるのでなく、ボルト・アセンブリを前進させる。ボルトアクションライフルやリボルバー拳銃の反動は銃口を跳ね上げさせるだけだが、反動式の機関銃では引き金が引かれており給弾ベルトに弾がある間中、後座力を利用して空薬莢を排出し、給弾ベルトを送り、薬室 ( chamber ) に次弾を送り込むという一連の動作を連続して行う。銃口にリコイル・ブースターを付けたことにより、MG42では基本的には毎分1,200発、いくつかのバージョンは毎分1,500発、後述のMG45は1,800以上の連射が可能であった。これは「個々の敵兵を撃つための時間が短いため、可能な限り発射速度を高めた方が有効」という先行武器の実験結果による。また、リコイル・ブースターを使用せずに射撃することも可能だった。このような高い発射速度では、人間の耳は個々の弾丸の発射音を正確に捉えられないため、発射音は「布を裂く音」 ( ripping cloth ) と呼ばれ、またMG42自体も「ヒトラーの電動のこぎり」 ( Hitler's Buzzsaw ) というニックネームを付けられた。また、生産を一部担当した工場のあったベルリンの地名「シュパンダウ」 ( Spandau ) の銘板が付いていたため、連合軍兵士からはこの名で呼ばれることもあった。
銃床は連射の反動で肩からずれてしまうのを防ぐため、肩の上で適切に保持され、下に左手を添えられるように設計されている。この部品は木製と黒いベークライト樹脂製とがあり、後者の方が一般的であった。銃身はMG34のものより軽く減耗も早かったが、レバーを引くだけで簡単に銃身を抜くことができ、熟練者は数秒で交換することができた。
バリエーションと試作品:
1944年、第三帝国における資材不足が新たなバージョンを生んだ。MG45(またはMG42V)と呼ばれるもので、より少ない鋼材を用い、9kgまで減量されたが、発射速度は最大限に増加された。最初の試験は1944年6月に行われたが、その後も開発は続き、結局10丁だけが生産された。MG42Vの設計の一部は戦後、ローラーディレード・ブローバック方式を採用したH&K社の小火器や、スイスのMG710に引き継がれている。
MG42をわずかに変更したものに、7.62mm NATO弾仕様に再設計されたMG42/59やラインメタルMG1、発射速度の調整の出来る改良型・MG3があり、これは戦後のドイツ連邦軍(Bundeswehr)に採用されている。また、他の国々でも派生バージョンやMG3を採用しており、現在に至るまで運用されている。アメリカ陸軍のM60は、MG42のベルト給弾方式を改修したものを採用している。1950年代にテストされ、後にM60として制式化されるT161は、T52(FG42を参考にしたもの)を打ち負かした。T161は、T52とは異なりガスオペレーション式を採用し、より製造が簡単である。しかし、両方とも基本的には同じベルト給弾式と、基本的な配置を踏襲していた。なお米軍は大戦中にもMG42のコピー生産を試みたが、部品寸法をメートル法からインチ法に直す際の凡ミスにより、作動不良をおこして失敗している。
MG42そのものも、数々の軍や武装組織で使用され、模倣品やライセンス品も数多く生産された。
M53 ユーゴスラヴィアが第二次大戦後の賠償金代わりとしてドイツから兵器製造機械を譲り受けて生産した。口径は7.92mmのままである。
MGm/62 デンマークがドイツから輸入したMG42/59(MG1)。銃架はデンマークで製造した物を使用している。
M51 1951年にスイスが正式採用した機関銃。MG42に類似した構造となっている。
MG74 オーストリアのステアー社がライセンス生産していたMG42に独自の改良を加えて製造した機関銃。
(Wikipediaより)
MG42機関銃 ( Maschinengewehr 42, MG42またはMG-42 )は、第二次世界大戦内の1942年にナチス・ドイツにより開発・供給された汎用機関銃。MG34に代表される、口径7.92mmライフル弾使用の機関銃を置き換える意図で開発されたが、結局MG34・MG42の両者ともに終戦まで量産され続けた。
経緯:
MG42はMG34を改善する更なる試み、特にコストダウンと量産性の向上を目的に、メタル・ウント・ラキーア・ヴァーレン・ファブリーク・ヨハネス・グロスフス株式会社("Metall- und Lackierwarenfabrik Johannes Großfuß AG"、以下「グロスフス社」)により開発された。内部構造はMG34のショートリコイル構造に類似しているものの、ボルトロック機構は回転閉鎖式ではなく、ポーランドのエドヴァルト・シュテッケ(Edward Stecke)から取得した特許を基礎にしたローラーロッキング機構を採用している。結果、MG34よりも泥や埃に強くジャミングしにくくなった。
1942年から本格的量産のための生産設計が、グロスフス社、マウザー・ヴェルケ社(Mauser-Werke、日本独自の間違った発音ではモーゼル)、グストロフ・ヴェルケ社(Gustloff-Werke)ほかとの契約のもとに開始された。戦時中の量産数は400,000丁を超える。内訳は、1942年:17,915丁、1943年:116,725丁、1944年:211,806丁、1945年:61,877丁。これを可能にしたのは、プレス加工の多用によりMG34のおよそ半分の人手や低いコスト(MG34は150人で327ライヒスマルク、MG42は75人で250ライヒスマルク)で製造できること、および金属を節約できる生産工程にあった。
MG42は、バイポッド(二脚)を含め11.6kgで、MG34より軽量となり可搬性が向上した。二脚は銃の前部または中央部に取り付けることができたが、取り付け具の形状が異なるためMG34との互換性はない。さらに銃身ジャケットの形状に合わせ、新たに銃架が改修された専用三脚 "Lafette 42" が開発された(三脚自体の重量は20.5kg)。
特徴:
前作のMG34同様、MG42もオープンボルトの反動利用式である。引き金は撃針を作動させるのでなく、ボルト・アセンブリを前進させる。ボルトアクションライフルやリボルバー拳銃の反動は銃口を跳ね上げさせるだけだが、反動式の機関銃では引き金が引かれており給弾ベルトに弾がある間中、後座力を利用して空薬莢を排出し、給弾ベルトを送り、薬室 ( chamber ) に次弾を送り込むという一連の動作を連続して行う。銃口にリコイル・ブースターを付けたことにより、MG42では基本的には毎分1,200発、いくつかのバージョンは毎分1,500発、後述のMG45は1,800以上の連射が可能であった。これは「個々の敵兵を撃つための時間が短いため、可能な限り発射速度を高めた方が有効」という先行武器の実験結果による。また、リコイル・ブースターを使用せずに射撃することも可能だった。このような高い発射速度では、人間の耳は個々の弾丸の発射音を正確に捉えられないため、発射音は「布を裂く音」 ( ripping cloth ) と呼ばれ、またMG42自体も「ヒトラーの電動のこぎり」 ( Hitler's Buzzsaw ) というニックネームを付けられた。また、生産を一部担当した工場のあったベルリンの地名「シュパンダウ」 ( Spandau ) の銘板が付いていたため、連合軍兵士からはこの名で呼ばれることもあった。
銃床は連射の反動で肩からずれてしまうのを防ぐため、肩の上で適切に保持され、下に左手を添えられるように設計されている。この部品は木製と黒いベークライト樹脂製とがあり、後者の方が一般的であった。銃身はMG34のものより軽く減耗も早かったが、レバーを引くだけで簡単に銃身を抜くことができ、熟練者は数秒で交換することができた。
バリエーションと試作品:
1944年、第三帝国における資材不足が新たなバージョンを生んだ。MG45(またはMG42V)と呼ばれるもので、より少ない鋼材を用い、9kgまで減量されたが、発射速度は最大限に増加された。最初の試験は1944年6月に行われたが、その後も開発は続き、結局10丁だけが生産された。MG42Vの設計の一部は戦後、ローラーディレード・ブローバック方式を採用したH&K社の小火器や、スイスのMG710に引き継がれている。
MG42をわずかに変更したものに、7.62mm NATO弾仕様に再設計されたMG42/59やラインメタルMG1、発射速度の調整の出来る改良型・MG3があり、これは戦後のドイツ連邦軍(Bundeswehr)に採用されている。また、他の国々でも派生バージョンやMG3を採用しており、現在に至るまで運用されている。アメリカ陸軍のM60は、MG42のベルト給弾方式を改修したものを採用している。1950年代にテストされ、後にM60として制式化されるT161は、T52(FG42を参考にしたもの)を打ち負かした。T161は、T52とは異なりガスオペレーション式を採用し、より製造が簡単である。しかし、両方とも基本的には同じベルト給弾式と、基本的な配置を踏襲していた。なお米軍は大戦中にもMG42のコピー生産を試みたが、部品寸法をメートル法からインチ法に直す際の凡ミスにより、作動不良をおこして失敗している。
MG42そのものも、数々の軍や武装組織で使用され、模倣品やライセンス品も数多く生産された。
M53 ユーゴスラヴィアが第二次大戦後の賠償金代わりとしてドイツから兵器製造機械を譲り受けて生産した。口径は7.92mmのままである。
MGm/62 デンマークがドイツから輸入したMG42/59(MG1)。銃架はデンマークで製造した物を使用している。
M51 1951年にスイスが正式採用した機関銃。MG42に類似した構造となっている。
MG74 オーストリアのステアー社がライセンス生産していたMG42に独自の改良を加えて製造した機関銃。
(Wikipediaより)
土曜日, 12月 27, 0020
山百合会軍部メンバー紹介(仮)Ver1
山百合会
本軍部の創設者―ガリバルディ退役大將&谷沢 はるか初代総帥
1軍
設立時期は不詳。先代より禅譲を受けましたので、皇杞 枢が9代目の勢力長を勤めることとなりました。
メンバー:
皇杞 枢少将(9代目の勢力長、ロサ・キネンシス)
八意 永琳中将(8代目の勢力長、現役ロサ・ギガンティア)
朝比奈 みくる曹長
涼宮 ハルヒ曹長
緋村1等軍曹
羽殷3等軍曹
Mr.0サー・クロコダイル2等軍曹
コモモ=ランス大尉(別名『モリアーティたん』)
ヴァイス大尉
ゼータ@ながとゆき厨2等軍曹
鰐島 咢中尉
2軍
2005年10月26日設立、パチュリー・ノーレッジが2代目の勢力長を勤めることとなりました。
メンバー:
パチュリー・ノーレッジ大尉(2軍の2代目の勢力長)(2軍撃墜計算法:上等兵)
カミオ・コスモ大佐(2軍の副勢力長)(2軍撃墜計算法:伍長)
wynn中佐(2軍の軍師)(2軍撃墜計算法:伍長)
リオン・マグナス3等軍曹(2軍撃墜計算法:二等兵)
MIK伍長(2軍撃墜計算法:新兵)
ライオン・アルハロシ兵長(2軍撃墜計算法:新兵)
R,GIGGS少将(2軍撃墜計算法:二等兵)
3軍
2007年7月14日設立、古明地 さとりが5代目の勢力長を勤めることとなりました。
初代-洩矢 諏訪子中将
2代目-河城 にとり中佐
3代目-メルラン・プリスムリバー少佐
4代目-ルナサ・プリスムリバー中佐
5代目-古明地 さとり大佐
メンバー:
古明地 さとり大佐(暴君が自称、はるかが対立します)
海虎大尉(特殊突撃隊「スカーレット特攻隊」メンバー)(2軍撃墜計算法:新兵)
魂魄 妖夢一等兵(準助手さん)(2軍撃墜計算法:新兵)
徳寿丸上等兵(2軍撃墜計算法:二等兵)
チルノ伍長(海軍の衛生兵、横須賀海軍第9大隊84中隊28分隊小隊長)(2軍撃墜計算法:新兵)
少佐さん(本名不明、階級は少佐(破例昇格)、特殊突撃隊「スカーレット特攻隊」隊長)(2軍撃墜計算法:新兵)
古蘭特少佐(代行勢力長)(2軍撃墜計算法:二等兵)
へなちょこ大尉(4代目の側近、実質的な実力者、自称「ルナサの従者」)(2軍撃墜計算法:二等兵)
紅霞少尉(実力者の1、へなちょこ大尉の副官)(2軍撃墜計算法:新兵)
ロックオン・ストラトス兵長(実力者の2、狙撃名手)(2軍撃墜計算法:新兵)
4軍
設立時期は不詳。博麗 霊夢が初代目の勢力長を勤めることとなりました。
メンバー:
博麗 霊夢大佐
ユウ・カジマ一等軍曹
ファラン・デンゼル中尉(副勢力長)
カイ・キスク准尉
最強の戦士少尉
カカオ中尉
イザーク大将(霊夢大佐の側近、狙撃達人)
伝説の少女A二等曹長
フェイト・サイラス少尉
ディアブロ中尉
笹川 綾子三等軍曹
火曜日, 12月 23, 0020
木曜日, 12月 11, 0020
ED曲-Phantom-Liberation
原曲:東方妖々夢/幽霊楽団 ~ Phantom Ensemble
サークル:セブンスヘブンMAXION
アルバム:FormerFrontier
Vocal:SaRaSa&きこうでんみさ
Arranger:???
無機質な 匣(はこ)の中
少しだけ背伸びしてちょっと触れてみた 失われた過去の道標 今、手繰り寄せ
冷え切ってる身体にそっと火を燈し 誓い合った朝の光 今、ここに集え
ほら、手をとって そう、顔上げて深呼吸
ねぇ、感じた? glorious
準備はOK 強い力で思い切っていこ 一緒にさ
この大空の果てまで 翼広げ飛んでゆこう
雲を抜けたその先に きっと待ってるから
even if it take such a long long time
想いは時間を越えて
顕れて目の前に きっと信じてるから
白銀の 風に乗せ
ベッドのシーツくしゃり掴んでは 悔しさに涙流し いない誰かのせいにして
急かされる日々をただ過ごしてる 忘れたままになってる約束を果たそう
さあ、目覚めて あの、自由に翔けた頃
もう、縛れない 今、geassを断ち切れ 高く遠くへと
振り向かないで飛び出そう
この大空の果てまで どこまでも続く未来へ
生まれたてのその羽を 大きく広げて
even if it take such a long long time
まばたきもせずに見つめて
太陽のプリズムをその身に集めてる
ほら、手をとって そう、私の手を握り
さあ、目覚めて あの、自由に翔けた頃
楽しい日々 私たちも覚えてる
楽器手にとって演奏そのままで聴いて
crescend! 抱き合って
こっち、向いて笑顔見せて
もう、大丈夫。
ねぇ、忘れないでねこのアンサンブル
胸にいだいて旅立とう
この大空の果てまで 翼広げ飛んでゆこう
雲を抜けたその先に きっと待ってるから
この大空の果てまで どこまでも続く未来へ
生まれたてのその羽を 大きく広げて
to the end of this sky which deep blue like eyes
ただ高く高く風に舞え
雲を抜けたその先で 必ず逢えるから
無機質な 匣の中
連れ出して 魂を
仮想冒険戦記仮OP-喪失の雪夜
原曲:東方夢時空/夢消失 ~Lost Dream
サークル:セブンスヘブンMAXION
アルバム:FormerFrontier
Vocal:佳織みちる
Arranger:五条下位
演じる事さえ 馬鹿げてると言った
私の存在 塵の一つのようで
感じた視線に 期待してた頃
失う事など ありはしないと
一人佇む部屋で 時間をただ刻んで
虚ろな魔法の檻 抜け出し扉を開け 外界へ
やがて 幕は下りた 雪の舞う夜
振り返っても今は 誰も気づけないの
降り散る雪 手にとれば 消え行くわ
須臾(しゅゆ)の合間(☆)
望んだ邂逅 ただ一度の過去
願いを語れば 虚しさは募るばかり
凍える両肩 そっと包むVeil
儚い横顔 まるで人のよう
閉ざした この世界に
ただ一つの 手段で
哀訴の祈りのよう 手を組み跪いて 褪せた
景色涙零れ 少女が映る
こんなにも近いのに 遠く感じるのは
揺らいだせい そう心(こころ)はさざ波で
掻き乱されて
ずっと感じていた 終わりの予感
貴女(あなた)はもう慣れたと 肩越しに手を振り
崩れてゆく もう意味などありはしない
去りし想いを
☆REPEAT
火曜日, 12月 09, 0020
拳銃紹介(比那名居天子編)
H&K P7は、ドイツの銃器メーカーであるヘッケラー&コッホ社(Heckler & Koch GmbH)が開発し、2005年まで発売していた自動拳銃である。H&K PSPとも呼ばれる
H&K P7は1976年に西ドイツ警察の制式拳銃、PSP(ポリッツアイ・セルブストラーデ・ピストール)として提出され、その後採用された拳銃であり、H&K社の独自技術がふんだんに使われている意欲作であった。このトライアルの際に警察側がつけたコードネームがP7であったが、そのまま商品名として使われた(同じ候補にワルサーP5があった)。
特徴:
ガス圧緩衝によるディレイ式ブローバック方式 (銃身下部に並行するガスピストンがある。ピストンはスライドと連結されており、さらにピストンは薬室の直前に開口している。弾薬が撃発され弾頭が前進を始めてこの開口部を通過すると、火薬の燃焼ガスの一部はこの開口部からピストンに進入する。ピストンに進入したガスはスライドの後退に抵抗を与える。この際、薬室と銃身、そして銃身に『栓』をしている弾頭もピストンのチェンバーを構成していることになる。弾頭が銃身を抜けるとチェンバーが開放されることにより、スライドの後退抵抗はなくなり、スライドは速やかに後退し、排莢を行い、さらにリコイルスプリング弾力により前進、次弾を薬室に送り込む)採用によりバレルをフレームに固定することができたため命中精度も向上した。欠点としては、撃発直後に火薬ガスの一部がピストンに流れ込む(弾丸を推進する火薬ガスの圧力低下に直結する)ことにより、同程度の銃身長を持つ他形式の銃に比して弾頭の銃口初速がおよそ10%も低くなることである。
また最も特徴的な機能としてスクウィーズ・コッカーという機能を有している。これはグリップ前縁を丸ごとグリップセフティ兼コッキングハンドルにしたもので、グリップを握らなければ撃芯(ストライカー)が起きあがらずに撃発しないというものである。故にトリガーはいわゆるシングルアクションの様な作動方式となり、かなり軽いトリガー・プルとなっている。更にグリップセフティはスライド・ストップを解除する役割も担っている(最終弾を発射後、弾倉を交換し、握り込めば即座に初弾が薬室へと送られる)。発射ガスを利用するピストンが薬室の直前に開口=トリガーの付け根に当たり、トリガーを引く指が火傷しやすく(初期のP7)改良型のP7M8以降にはトリガーの付け根に火傷防止のプラ製ガードが付いている。
欠点:
最も特徴的な機能のスクウィーズ・コッカーによってトリガーが軽くなり(お陰で、うっかり自分の足をホルスターごと撃ってしまった警官がいたらしいが)バレル固定式ということから拳銃としては命中精度が上がったが、独特な操作を必要とする為に撃ちにくいという評価が下された。またスクウィーズ・コッカーのコッキングの際はけっこうな金属音がするために隠密性が無いとされた。設計はM8が基本だったので、M13のダブルカラムマガジンは左右非対称となっている。
バリエーション:
P7M13PSP
先行試作的な要素を持つ。正式名はドイツ語でPolizei Selbstlade-Pistole(警察用自動拳銃)。
P7M7
.45ACP弾を撃てるように作られたトライアル品(装弾数7発)。試作のみで生産はされなかった。
P7M8
ガス圧を逃がす過程でトリガー付近に熱がこもるという問題が起き改良された後期モデル。問題部分を耐熱ポリマー製パーツに変更。口径9mm、装弾数8発。
P7M10
.40S&W弾用に変更されたモデル(装弾数10発)。アメリカ輸出用と思われるが、アメリカ市場で人気があったとは言い難い。
P7M13
P7M8のマガジンをダブルカラム方式にして装弾数13発にしたモデル。グリップが多少太くなった。
P80
米軍制式採用候補としての別名。
(参考:Wikipedia)
拳銃紹介(永江衣玖編)
イクさんの拳銃-H&K USP
H&K USP(独:Universale Selbstladepistole, 英:Universal Self-loading Pistol)は、ドイツの銃器メーカーであるヘッケラー&コッホ社が開発した自動拳銃である。9mmパラベラム仕様は、P8という名称で現在のドイツ軍の制式拳銃になっている。他のバリエーションを含めると、多数の軍、警察、国家機関等に採用されている。
概要:
1993年に開発されたUSPは.40S&Wの使用を前提として作られ、9mmパラベラムと.40S&Wでは、弾倉と銃身組み込み済みのスライドなど、一部の部品を交換するだけで使用弾薬を変更できる。またアメリカへの進出を睨み、これらよりも少し大きいサイズで.45ACP版も発売されている。
同社にはH&K P7という拳銃がすでに存在したが、これは「スクイズコッカー」等の特殊な機構を持ち、製品としての評判が芳しくなかったこと、.40S&W以上の弾丸を使用するには設計上無理があったことなどから、拳銃の決定版的モデルが存在せず、カタログ上の穴となっていた。USPは革新的機構や独特の機構にこだわる同社が、あえて現状の技術のみを使い開発したモデルである。
口径は9mm(9mm×19パラベラム弾)、.40S&W弾、.45ACP弾を使うバージョンが存在する。装弾数はダブルカラムマガジン(複列弾倉)による15+1(9mm)、13+1(.40S&W)、12+1(.45ACP)発である。
歴史:
H&K社は、1970年にH&K VP70という世界初のポリマーフレームの拳銃を発表したが、これは商業的には失敗に終わった。それから約10年後、グロック社の開発したポリマーフレーム拳銃グロック17が好調な売れ行きを示すと、時代はポリマーフレームにあると見たH&K社は、アメリカを市場としても通用するポリマーフレーム製拳銃の開発をスタートした。
1993年に発表されたUSPは文字通りH&K社の販売戦略上の基幹拳銃となり、さまざまなバリエーションが発売される。その中で、US SOCOM(米国軍特殊部隊司令部)の制式採用トライアルを勝ち抜いた、H&K MARK 23(SOCOM PISTOL)のベースにもなっている。
P8の名称でドイツ連邦軍の制式拳銃に採用されている。日本警察の特殊急襲部隊(SAT)や、韓国海洋警察特別攻撃隊も装備している。
派生型である、USP COMPACT(9mmPara)はP10の名称で、ドイツ警察及び法執行機関に制式採用されている。P10は一般的なUSP COMPACTのボブハンマーと違い、従来のシアーハンマーを装備している。また、P2000(DAO&9mmPara)はドイツ警察に制式採用された。
特徴:
ポリマーフレームによって軽量化されたことで射撃時の反動が心配されたが、H&K社は独自の機構で解決を図っている。
操作性はアメリカ市場を睨んでコルト・ガバメントと同様の形式をとり、さらに左利きでも問題ないようマガジンキャッチを左右両用とし、コントロールレバー(セイフティ兼デコッキングレバー)も左右に付け替え可能とした。グリップは人間工学を生かした形状になっている。最初期のチェッカリングは細い縦の溝のみだったが、後に小さな四角錐を無数に配置したものに変更される。これは手袋を装着して握っても滑らないように配慮されたものである。同様に、トリガーガードもグローブを着けての射撃がしやすいように大きめに設計されている。
スライドリリース・コントロールレバーは片手親指のみで操作できるように設計されており、近年盛んになっているコンバット・シューティングの分野でも通用するようにできている。
マガジンをポリマー製にすることで、金属製マガジンの弱点であった「マガジンリップの変形による作動不良」を防ぎ、軽量なマガジンが自重で落ちてこなかった時のために、グリップ下部に窪みをつけ、マガジンを引き出しやすくしている。
フレームの先端には、ライト等のアタッチメントを付けられるタクティカルマウントが世界で初めて標準装備され、ITI社製、M2という専用フラッシュライトも用意されている。USP以降に発表された銃では、これが標準的な装備となるまでに浸透した。また、バレルはポリゴナルバレルという特殊な形状(六角形型)の銃身を持ち、耐久性の増加につながるといわれている。
9mmパラベラムと.40S&Wを使用するバージョンはフレーム等が共通で、弾倉と銃身組み込み済みのスライドの交換で口径の変更が可能。また、アメリカ市場を睨んだ.45ACPモデルでは、先の2バージョンよりサイズが少し大きいものの、12発という装弾数を実現している。
コントロールレバー:
USPのコントロールレバーには、位置や機能、シングルアクションの有無、コントロールレバー自体の有無によって9のバリエーションがある。
ヴァリアント1
シングル/ダブルアクション。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、セフティ、デコッキング両方の機能を持つ。
ヴァリアント2
ヴァリアント1のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
ヴァリアント3
シングル/ダブルアクション。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、デコッキングのみの機能を持つ。
ヴァリアント4
ヴァリアント3のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
ヴァリアント5
ダブルアクションのみ。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、セフティの機能を持つ。
ヴァリアント6
ヴァリアント5のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
ヴァリアント7
ダブルアクションのみ。コントロールレバーが無い。
ヴァリアント9
シングル/ダブルアクション。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、セフティのみの機能を持つ。
ヴァリアント10
ヴァリアント9のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
多くのバリエーション:
USPには多くの派生型がある。 下記には、主な物を紹介する。
USP TACTICAL
口径バリエーションは9mmパラベラムと45ACPで、.40S&Wが存在しない。
通常モデルとの主な違いは、サプレッサー装着を前提とした装備がなされていることである。サプレッサー装着可能なネジ切り済み延長バレル、ハイ・ターゲティングサイトである。
これらの上に、マッチ仕様のトリガー、アジャスタブル・リアサイト、エクステンディッド・マガジンプレート、ローデッド・インジケーターなどを備え、射撃時における能力向上に努めている。
H&K社は、USP TACTICALを「Mk.23よりコンパクトな高性能銃を必要としている人へ」と、肥大化してしまったMk.23の代替機として位置づけている。
USP COMPACT
9mm×19弾は13+1発、.40S&W弾では12+1発と、小型化しながらも多弾装を実現。コンシールド性にも優れているため、法執行機関を中心に採用されている。
USP EXPERT
9mm×19、.40S&W、.45AUTO弾のバリエーションがある。それぞれ、18+1発、16+1発、12+1発の多弾数である。競技仕様のUSPで、新しいデザインのスライドを装備、銃身長を伸ばしている他は、USP TACTICALの装備とほぼ同等。
P8
ドイツ連邦軍に制式配備されているUSPの名称。9mm×19弾を使用。ヴァリアント1に相当するが、コントロールレバーの操作が若干異なり、P8では「水平状態で発射可能、下げてセイフティオン、さらに下げてデコッキングされ、同時にセイフティオンに戻る」という、先代制式拳銃であるワルサーP1(ワルサーP38改良型)に近いものとなっている。
P10
USP COMPACTのドイツ連邦軍制式採用版の名称。小型化された以外にはP8と変わらないが、グリップ下部がCOMPACTと比べ若干斜めに突き出ている。ドイツ警察にも配備され、後に後継のP2000が登場した。
P12
USPの.45ACP弾仕様のドイツ連邦軍制式採用版の名称。特殊部隊向けとされる。
(参考:Wikipedia)
H&K USP(独:Universale Selbstladepistole, 英:Universal Self-loading Pistol)は、ドイツの銃器メーカーであるヘッケラー&コッホ社が開発した自動拳銃である。9mmパラベラム仕様は、P8という名称で現在のドイツ軍の制式拳銃になっている。他のバリエーションを含めると、多数の軍、警察、国家機関等に採用されている。
概要:
1993年に開発されたUSPは.40S&Wの使用を前提として作られ、9mmパラベラムと.40S&Wでは、弾倉と銃身組み込み済みのスライドなど、一部の部品を交換するだけで使用弾薬を変更できる。またアメリカへの進出を睨み、これらよりも少し大きいサイズで.45ACP版も発売されている。
同社にはH&K P7という拳銃がすでに存在したが、これは「スクイズコッカー」等の特殊な機構を持ち、製品としての評判が芳しくなかったこと、.40S&W以上の弾丸を使用するには設計上無理があったことなどから、拳銃の決定版的モデルが存在せず、カタログ上の穴となっていた。USPは革新的機構や独特の機構にこだわる同社が、あえて現状の技術のみを使い開発したモデルである。
口径は9mm(9mm×19パラベラム弾)、.40S&W弾、.45ACP弾を使うバージョンが存在する。装弾数はダブルカラムマガジン(複列弾倉)による15+1(9mm)、13+1(.40S&W)、12+1(.45ACP)発である。
歴史:
H&K社は、1970年にH&K VP70という世界初のポリマーフレームの拳銃を発表したが、これは商業的には失敗に終わった。それから約10年後、グロック社の開発したポリマーフレーム拳銃グロック17が好調な売れ行きを示すと、時代はポリマーフレームにあると見たH&K社は、アメリカを市場としても通用するポリマーフレーム製拳銃の開発をスタートした。
1993年に発表されたUSPは文字通りH&K社の販売戦略上の基幹拳銃となり、さまざまなバリエーションが発売される。その中で、US SOCOM(米国軍特殊部隊司令部)の制式採用トライアルを勝ち抜いた、H&K MARK 23(SOCOM PISTOL)のベースにもなっている。
P8の名称でドイツ連邦軍の制式拳銃に採用されている。日本警察の特殊急襲部隊(SAT)や、韓国海洋警察特別攻撃隊も装備している。
派生型である、USP COMPACT(9mmPara)はP10の名称で、ドイツ警察及び法執行機関に制式採用されている。P10は一般的なUSP COMPACTのボブハンマーと違い、従来のシアーハンマーを装備している。また、P2000(DAO&9mmPara)はドイツ警察に制式採用された。
特徴:
ポリマーフレームによって軽量化されたことで射撃時の反動が心配されたが、H&K社は独自の機構で解決を図っている。
操作性はアメリカ市場を睨んでコルト・ガバメントと同様の形式をとり、さらに左利きでも問題ないようマガジンキャッチを左右両用とし、コントロールレバー(セイフティ兼デコッキングレバー)も左右に付け替え可能とした。グリップは人間工学を生かした形状になっている。最初期のチェッカリングは細い縦の溝のみだったが、後に小さな四角錐を無数に配置したものに変更される。これは手袋を装着して握っても滑らないように配慮されたものである。同様に、トリガーガードもグローブを着けての射撃がしやすいように大きめに設計されている。
スライドリリース・コントロールレバーは片手親指のみで操作できるように設計されており、近年盛んになっているコンバット・シューティングの分野でも通用するようにできている。
マガジンをポリマー製にすることで、金属製マガジンの弱点であった「マガジンリップの変形による作動不良」を防ぎ、軽量なマガジンが自重で落ちてこなかった時のために、グリップ下部に窪みをつけ、マガジンを引き出しやすくしている。
フレームの先端には、ライト等のアタッチメントを付けられるタクティカルマウントが世界で初めて標準装備され、ITI社製、M2という専用フラッシュライトも用意されている。USP以降に発表された銃では、これが標準的な装備となるまでに浸透した。また、バレルはポリゴナルバレルという特殊な形状(六角形型)の銃身を持ち、耐久性の増加につながるといわれている。
9mmパラベラムと.40S&Wを使用するバージョンはフレーム等が共通で、弾倉と銃身組み込み済みのスライドの交換で口径の変更が可能。また、アメリカ市場を睨んだ.45ACPモデルでは、先の2バージョンよりサイズが少し大きいものの、12発という装弾数を実現している。
コントロールレバー:
USPのコントロールレバーには、位置や機能、シングルアクションの有無、コントロールレバー自体の有無によって9のバリエーションがある。
ヴァリアント1
シングル/ダブルアクション。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、セフティ、デコッキング両方の機能を持つ。
ヴァリアント2
ヴァリアント1のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
ヴァリアント3
シングル/ダブルアクション。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、デコッキングのみの機能を持つ。
ヴァリアント4
ヴァリアント3のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
ヴァリアント5
ダブルアクションのみ。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、セフティの機能を持つ。
ヴァリアント6
ヴァリアント5のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
ヴァリアント7
ダブルアクションのみ。コントロールレバーが無い。
ヴァリアント9
シングル/ダブルアクション。後方から見て左側にコントロールレバーがあり、セフティのみの機能を持つ。
ヴァリアント10
ヴァリアント9のコントロールレバーを後方から見て右側としたもの。
多くのバリエーション:
USPには多くの派生型がある。 下記には、主な物を紹介する。
USP TACTICAL
口径バリエーションは9mmパラベラムと45ACPで、.40S&Wが存在しない。
通常モデルとの主な違いは、サプレッサー装着を前提とした装備がなされていることである。サプレッサー装着可能なネジ切り済み延長バレル、ハイ・ターゲティングサイトである。
これらの上に、マッチ仕様のトリガー、アジャスタブル・リアサイト、エクステンディッド・マガジンプレート、ローデッド・インジケーターなどを備え、射撃時における能力向上に努めている。
H&K社は、USP TACTICALを「Mk.23よりコンパクトな高性能銃を必要としている人へ」と、肥大化してしまったMk.23の代替機として位置づけている。
USP COMPACT
9mm×19弾は13+1発、.40S&W弾では12+1発と、小型化しながらも多弾装を実現。コンシールド性にも優れているため、法執行機関を中心に採用されている。
USP EXPERT
9mm×19、.40S&W、.45AUTO弾のバリエーションがある。それぞれ、18+1発、16+1発、12+1発の多弾数である。競技仕様のUSPで、新しいデザインのスライドを装備、銃身長を伸ばしている他は、USP TACTICALの装備とほぼ同等。
P8
ドイツ連邦軍に制式配備されているUSPの名称。9mm×19弾を使用。ヴァリアント1に相当するが、コントロールレバーの操作が若干異なり、P8では「水平状態で発射可能、下げてセイフティオン、さらに下げてデコッキングされ、同時にセイフティオンに戻る」という、先代制式拳銃であるワルサーP1(ワルサーP38改良型)に近いものとなっている。
P10
USP COMPACTのドイツ連邦軍制式採用版の名称。小型化された以外にはP8と変わらないが、グリップ下部がCOMPACTと比べ若干斜めに突き出ている。ドイツ警察にも配備され、後に後継のP2000が登場した。
P12
USPの.45ACP弾仕様のドイツ連邦軍制式採用版の名称。特殊部隊向けとされる。
(参考:Wikipedia)
拳銃紹介(水橋パルスィ編)
H&K P2000は、ドイツの銃器メーカーであるヘッケラー&コッホ(以下H&Kと記載)が同社のH&K USPをベースとして開発された自動拳銃である。
概要
USP(正確にはUSPコンパクトのドイツ制式採用版のP10)の小型改良版として2001年に開発されたのがこのP2000である。
元々多くのバリエーションを持つUSPではあるが、女性警察官からグリップが太すぎるとの声が上がっていた。そこで、同じくドイツの銃器メーカーであるカール・ワルサー社のワルサーP99の特徴であるバックストラップを交換可能とする事で、手の小さい女性でもグリップがフィットする設計になったのと同時に、左利きの射手に配慮し、操作系統も交換できるようになっている。(この特徴から極力左右対称のデザインとしている)
また、グロック17のセーフアクション、ワルサーP99のクイックアクション機構と同様、撃針がダブルアクションとシングルアクションの中間にあり、双方の重さとストローク(長さ)で引金を引く機構(LEM)を採用している。
弾薬は9mmパラベラム弾、.40S&W弾の他、オプションで.357SIG弾から選択できる。
バリエーション
P2000
P2000SK - P2000のコンパクトバージョン。SKは「Sub Kompakt」を意味する。
また、引金を引く重さの違い、システムの相違からV1~V5(ヴァリアント)までのバリエーションが存在する。(V3ではシングルアクション/ダブルアクションの切り替えが出来るレバーが装備されており、V5ではDAO(ダブルアクションオンリー)を採用している)
(参考:Wikipedia)
拳銃紹介(黒谷ヤマメ編)
ヤマメさんの拳銃-コルト・ウッズマン
コルト・ウッズマン(Colt Woodsman)は、アメリカの銃器メーカーであるコルト(Colt)社が1915年から発売した自動拳銃。
競技用として開発された拳銃で、使用弾は威力の低い.22LR弾、装弾数は10+1発である。発売当初はコルト・オートマチック・ピストル・ターゲットモデルという名で発売され、その後1927年からWoodsman(森の住人)と名称が変えられて販売され続けた。それ以前のモデルはPre-Woodsmanと称されている。競技用のみならず手軽な銃としてプリンキングや簡単な狩猟にも用いられ、1976年までおよそ65万丁が販売されたと言われる。共同設計者の一人にジョン・ブローニングが名を連ねている。大量に販売されたため様々なカスタムモデルやバリエーションが存在する。1947年にマイナーチェンジが行なわれ、セカンドシリーズとして販売された。その後マイナーチェンジがもう一度行なわれサードシリーズとなっている。威力の低い.22LRを用いるためストレートブローバックを採用、フレームサイズは中型弾も撃てそうな頑丈なものであったため銃身の跳ね上がりも少なく命中率は良かった。またそのフレームの肉厚を利用して多くのエングレービングモデル(表面に彫刻を施した装飾銃)が作られている。本銃には膨大なバリエーションがある(下記参照)。
バリエーション:
ファーストシリーズ-
コルト・ウッズマン ⇒画像
このシリーズの基本モデル。銃身長は6.5インチのみ。
コルト・ウッズマン・スポーツ
銃身長4.5インチでセミヘビーバレル(ノーマルよりも銃身が太い)のタイプ。後期型にはストックが付属していた。また、ロングバレルとストックを装着したコルト・スポーツマンというカービンタイプも存在する。
コルト・ウッズマン・ターゲット
銃身長5.5インチから6.5インチのモデル。ほとんどのカスタムのベースとなった。
コルト・ウッズマン・マッチターゲット
競技用に特化したモデル。セカンドシリーズのマッチターゲットと異なり銃身が付け根部分のみ太くなっている。⇒画像
セカンドシリーズ-
このシリーズからウッズマンの特徴的なサムレスト(親指をホールドする出っ張り)付きグリップが標準となる。
コルト・ウッズマン・スポーツ
引き続き発売された4.5インチヘビーバレルのタイプ。グリップはサムレスト付き。ストック付属。
コルト・ウッズマン・マッチターゲット
ファーストシーズンではカスタムモデルだったマッチターゲットモデルを市販化したもの。銃身と同じ長さのバレルウェイトやアジャスタブルなフロントサイト、リアサイト、グリップエンドなどが取り付けられている。
コルト・ウッズマン・ターゲット
グリップがマッチターゲットと同じサムレストのあるタイプだが他のパーツはない競技用の廉価版モデル。銃身長は6インチ。
コルト・ウッズマン・チャレンジャー
グリップがサムレストの無いタイプでストックが付属している。スポーツの廉価版モデル。銃身長は4.5インチ。
サードシリーズ-
このシリーズから仕上げによるグレードの違いが出ている。
コルト・ハンツマン ⇒画像
ウッズマンの改良型でありサードシーズンのスタンダード。簡易リアサイトと銃身直付けのフロントサイトを持つ。トイガンメーカーである旧MGCがこのハンツマンのトイガンを「ウッズマン」の名称で販売していたため、日本では一般には同モデルがウッズマンであり、装弾数も8発と誤解されている(本来の装弾数は、ウッズマン、ハンツマン共に10発)。ハンツマンとは猟師のこと。ウッズマンとの外見上の違いはフロントサイトとグリップのサムレストの有無。4.5インチと6インチモデルあり。
コルト・ウッズマン・マッチターゲット⇒画像
セカンドシリーズでは6インチのみだったが4.5インチのものも発売されている。
コルト・ウッズマン・ターゲット
セカンドシリーズとほぼ同じ6インチモデル。アジャスタブルなフロントサイト、リアサイトが付き少し高級になった。
コルト・ターゲッツマン ⇒画像
ターゲットモデルのリア・サイトをハンツマンに付けたもの。サムレストが薄くなりヘビーバレルがより太くなっている。4.5インチと6インチモデルがある。
コルト・ウッズマン・スポーツ
引き続き発売された廉価版。グリップにサムレストあり。銃身長は4.5インチ。
コルト・ウッズマン・Sマスター
4.5インチスポーツモデルに同じ意匠の金のエングレービングを施したもの。コルト社公式の限定カスタムモデル。
(参考:Wikipedia)
コルト・ウッズマン(Colt Woodsman)は、アメリカの銃器メーカーであるコルト(Colt)社が1915年から発売した自動拳銃。
競技用として開発された拳銃で、使用弾は威力の低い.22LR弾、装弾数は10+1発である。発売当初はコルト・オートマチック・ピストル・ターゲットモデルという名で発売され、その後1927年からWoodsman(森の住人)と名称が変えられて販売され続けた。それ以前のモデルはPre-Woodsmanと称されている。競技用のみならず手軽な銃としてプリンキングや簡単な狩猟にも用いられ、1976年までおよそ65万丁が販売されたと言われる。共同設計者の一人にジョン・ブローニングが名を連ねている。大量に販売されたため様々なカスタムモデルやバリエーションが存在する。1947年にマイナーチェンジが行なわれ、セカンドシリーズとして販売された。その後マイナーチェンジがもう一度行なわれサードシリーズとなっている。威力の低い.22LRを用いるためストレートブローバックを採用、フレームサイズは中型弾も撃てそうな頑丈なものであったため銃身の跳ね上がりも少なく命中率は良かった。またそのフレームの肉厚を利用して多くのエングレービングモデル(表面に彫刻を施した装飾銃)が作られている。本銃には膨大なバリエーションがある(下記参照)。
バリエーション:
ファーストシリーズ-
コルト・ウッズマン ⇒画像
このシリーズの基本モデル。銃身長は6.5インチのみ。
コルト・ウッズマン・スポーツ
銃身長4.5インチでセミヘビーバレル(ノーマルよりも銃身が太い)のタイプ。後期型にはストックが付属していた。また、ロングバレルとストックを装着したコルト・スポーツマンというカービンタイプも存在する。
コルト・ウッズマン・ターゲット
銃身長5.5インチから6.5インチのモデル。ほとんどのカスタムのベースとなった。
コルト・ウッズマン・マッチターゲット
競技用に特化したモデル。セカンドシリーズのマッチターゲットと異なり銃身が付け根部分のみ太くなっている。⇒画像
セカンドシリーズ-
このシリーズからウッズマンの特徴的なサムレスト(親指をホールドする出っ張り)付きグリップが標準となる。
コルト・ウッズマン・スポーツ
引き続き発売された4.5インチヘビーバレルのタイプ。グリップはサムレスト付き。ストック付属。
コルト・ウッズマン・マッチターゲット
ファーストシーズンではカスタムモデルだったマッチターゲットモデルを市販化したもの。銃身と同じ長さのバレルウェイトやアジャスタブルなフロントサイト、リアサイト、グリップエンドなどが取り付けられている。
コルト・ウッズマン・ターゲット
グリップがマッチターゲットと同じサムレストのあるタイプだが他のパーツはない競技用の廉価版モデル。銃身長は6インチ。
コルト・ウッズマン・チャレンジャー
グリップがサムレストの無いタイプでストックが付属している。スポーツの廉価版モデル。銃身長は4.5インチ。
サードシリーズ-
このシリーズから仕上げによるグレードの違いが出ている。
コルト・ハンツマン ⇒画像
ウッズマンの改良型でありサードシーズンのスタンダード。簡易リアサイトと銃身直付けのフロントサイトを持つ。トイガンメーカーである旧MGCがこのハンツマンのトイガンを「ウッズマン」の名称で販売していたため、日本では一般には同モデルがウッズマンであり、装弾数も8発と誤解されている(本来の装弾数は、ウッズマン、ハンツマン共に10発)。ハンツマンとは猟師のこと。ウッズマンとの外見上の違いはフロントサイトとグリップのサムレストの有無。4.5インチと6インチモデルあり。
コルト・ウッズマン・マッチターゲット⇒画像
セカンドシリーズでは6インチのみだったが4.5インチのものも発売されている。
コルト・ウッズマン・ターゲット
セカンドシリーズとほぼ同じ6インチモデル。アジャスタブルなフロントサイト、リアサイトが付き少し高級になった。
コルト・ターゲッツマン ⇒画像
ターゲットモデルのリア・サイトをハンツマンに付けたもの。サムレストが薄くなりヘビーバレルがより太くなっている。4.5インチと6インチモデルがある。
コルト・ウッズマン・スポーツ
引き続き発売された廉価版。グリップにサムレストあり。銃身長は4.5インチ。
コルト・ウッズマン・Sマスター
4.5インチスポーツモデルに同じ意匠の金のエングレービングを施したもの。コルト社公式の限定カスタムモデル。
(参考:Wikipedia)
拳銃紹介(星熊勇儀編)
ゆうぎ姐さんの拳銃-Cz75
Cz75は、1968年に開発が計画され、1975年に製造されたチェコスロバキア(現在のチェコ共和国)製の自動式拳銃。
概要:
名称のCzの由来は開発公社の「チェスカー・ズブロヨフカ (Česká zbrojovka) 」。主任設計者はFrantisek Koucky。
開発:
第二次世界大戦後、共産党が政権を握ったチェコスロバキア国(当時)は、国内の武器生産能力を維持し、また外貨獲得の手段とするため、タイプライターやディーゼルエンジンなどの工業製品を製造し、その傍ら民間向けの自衛用銃器も製造した。チェコ製銃器は設計技術と製造品質の高さが評価され、輸出売上高は急速に拡大し、外貨獲得の優良な供給源に成長した。
1968年、輸出市場向けに9mmパラベラム弾薬を用いる拳銃を開発することが企画され、Frantisek Kouckyは、新型ピストルの開発を指揮するために、Uhersky Brod社と契約を交わした。 当初、彼はコンパクトで単列(シングルカラム)弾倉を持つピストルを考えていたが、1972年にチェコの産業貿易省は、軍や警察の需要を見越して、複列ダブルカラム)弾倉を装着すること設計要件に加えた。デザインチームはいくつかの試作品でテストを行い、1975年にCZ-75ピストルが完成した。
機構:
ブローニング型ショートリコイル作動方式を採用し、複列単給弾方式弾倉(ダブルカラム シングルフィード マガジン)付属、ダブルアクションとシングルアクション両用の引き金機構を持っている。フレームには鋼材を採用し、手動安全子(マニュアルセフティ)はコックアンドロック方式、フレームがスライドを包み込む結合方式となっている。フレームとスライドの結合はSIG P210と同じ方式だが、噛合わせ部分に異物が侵入した場合に除去されにくく、スライドの指掛け部の小ささから操作ミスを起こしやすい[要出典]。
CZ-75は、米国市場に紹介されると、工作精度の高い鋼製フレームとコックアンドロック式の手動安全子、高い耐久性とコルトガバメントモデルと同一の操作性などがプラクティカルシューティング層に支持され、「世界最高のコンバットセミオートピストル」と評価された。
製造国のチェコスロバキアはワルシャワ条約機構の一部であったため、米国では高額の輸入関税が課されており、正規輸入する場合、納税済みの書類手続きを完了させるには約900ドルの費用が掛かった。 当時の他のハンドガンの価格は、S&W Model19は約200ドル、コルトゴールドカップは約370ドル、コルトパイソンが400ドルであった。そのため1980年代前半の間は、米国内に流通するCZ-75は、ドイツまたはカナダなどを経由し個人レベルで持込んだり、間接的に輸入されたものに限られていた。
設計者であるFrantisek Kouckyが取得していた4つの特許(CZ-75のDAトリガー機構の部品構成に関するもの)は、チェコスロバキア軍がCZ-75の採用を検討していことから機密扱いになっており、国内特許であったため、イタリア、スイス、スペイン、トルコ、イスラエルなど不利な関税制限のない国でコピー製品が製造され、米国に輸出されていた。
1980年中盤になると、カナダのバウスカ社が代理店となりCZ-75が米国市場に流通するようになった。この輸入モデルは、製造コストを押さえるために、従来のブルーイングではなくエナメル塗装仕上が施されていた。
1989年以降になるとチェコの共産主義政権は崩壊し、それに伴い米国の輸入関税は課されなくなったため、米国内でもCZ-75の価格は他の製品と競争できるまでに降下した。後に米国内にCZ-USA社が設立され、改良が加えられたCZ-75Bをはじめとして、様々なバリエーション製品が製造販売されている。
前期型(ショート レイル)
Cz75前期型を模したエアソフトガン。実物はアメリカ市場でも殆ど流通しておらず、コレクターの間では高値で取引されている。チェコスロバキアは当時共産圏であったために、コストパフォーマンスを第一に考える必要がなく、強度のある最高級のスチール削り出し加工で部品を薄くすることができた。これに人間工学的な設計を加えることでグリップ形状に特徴を持たせ、握りやすさを向上させている。
チェコスロバキアは政治的に東側の一員だったが、西側諸国にも多数が輸出され、東品質に比べて値段が安い優秀な自動拳銃として評判を高めていた。現在でも前期型は高価で取引されている。
当時コンバットシューティングを提唱していたジェフ・クーパー (Jeff Cooper) がCz75を高く評価し「これが.45ACPであったなら世界最高のコンバットオートである」と述べ、後にこの提案をもとにした「ブレン・テン10mmオート」の開発に協力した。当時の米国では、「評価は高いが共産圏製で手に入らない」という点から、実力からは想像も付かない過大評価がされていた。
後期型
前期型の成功により受注が増えたCz75は、生産性を上げるためにいくつかの変更を行った。
製造過程を削り出しから鍛造へ変更し、これによる強度の低下のため、スライドとフレームの形状を若干変更している。また、グリップパネルは人間工学的に優れたデザインに変更された。これに伴い重量もやや増加し、デザインも多少変化している。
東欧民主化後、チェコスロバキアからチェコ共和国へと製造国の政治形態は変化したが、Czで生産は続けられ、世界市場に向けてさまざまなバリエーションが作られている。
現在のCz75
Cz85Cz75シリーズとしてコンバットシューティングモデル(競技用)、ローエンフォースメント用マシンピストルモデル(法執行機関向。全自動射撃可能)、Cz85といったアンビデクストラウスモデル(射撃者の左利き・右利きを問わない)も生産されている。Cz85についてはCz75の狭いフレームを改良しないまま左右両用化しているため、スライドストップの軸が折れやすい、周辺のフレームに亀裂が入りやすいという欠陥が指摘されている。
その他にも.22LRモデル、.40S&Wモデル、コンペンセイター装着モデルに加え、フレーム下部にアクセサリーレールを装備したCz75 SP-01、.45ACPを使用するために大型化したCz97Bなどが存在する。Cz本社以外のコピー製品でも、スポーツバージョン等が発売されている。
イタリアや中国、北朝鮮でも生産されているが、中国ノーリンコ製のものは、外観の仕上げが劣るとされている。
北朝鮮では朝鮮半島の代表的な山である白頭山から名前を取った「白頭山拳銃」として生産されており、金正日総書記から送られる贈呈用拳銃として装飾されたものもある。銃としての性能に関しては、チェコ製のものに劣るとされている。
NHKのドキュメンタリーで、匿名を条件に取材に応じたイギリスの民間軍事会社がバリエーションのひとつ、CZ75Dを実弾訓練の際に利用しているところが確認されている。
(参考:Wikipedia)
おまけ-
ゆうぎ姐さんの使用するのCZ75は、前期タイプです。 後期タイプはパルスィで使用。
Cz75は、1968年に開発が計画され、1975年に製造されたチェコスロバキア(現在のチェコ共和国)製の自動式拳銃。
概要:
名称のCzの由来は開発公社の「チェスカー・ズブロヨフカ (Česká zbrojovka) 」。主任設計者はFrantisek Koucky。
開発:
第二次世界大戦後、共産党が政権を握ったチェコスロバキア国(当時)は、国内の武器生産能力を維持し、また外貨獲得の手段とするため、タイプライターやディーゼルエンジンなどの工業製品を製造し、その傍ら民間向けの自衛用銃器も製造した。チェコ製銃器は設計技術と製造品質の高さが評価され、輸出売上高は急速に拡大し、外貨獲得の優良な供給源に成長した。
1968年、輸出市場向けに9mmパラベラム弾薬を用いる拳銃を開発することが企画され、Frantisek Kouckyは、新型ピストルの開発を指揮するために、Uhersky Brod社と契約を交わした。 当初、彼はコンパクトで単列(シングルカラム)弾倉を持つピストルを考えていたが、1972年にチェコの産業貿易省は、軍や警察の需要を見越して、複列ダブルカラム)弾倉を装着すること設計要件に加えた。デザインチームはいくつかの試作品でテストを行い、1975年にCZ-75ピストルが完成した。
機構:
ブローニング型ショートリコイル作動方式を採用し、複列単給弾方式弾倉(ダブルカラム シングルフィード マガジン)付属、ダブルアクションとシングルアクション両用の引き金機構を持っている。フレームには鋼材を採用し、手動安全子(マニュアルセフティ)はコックアンドロック方式、フレームがスライドを包み込む結合方式となっている。フレームとスライドの結合はSIG P210と同じ方式だが、噛合わせ部分に異物が侵入した場合に除去されにくく、スライドの指掛け部の小ささから操作ミスを起こしやすい[要出典]。
CZ-75は、米国市場に紹介されると、工作精度の高い鋼製フレームとコックアンドロック式の手動安全子、高い耐久性とコルトガバメントモデルと同一の操作性などがプラクティカルシューティング層に支持され、「世界最高のコンバットセミオートピストル」と評価された。
製造国のチェコスロバキアはワルシャワ条約機構の一部であったため、米国では高額の輸入関税が課されており、正規輸入する場合、納税済みの書類手続きを完了させるには約900ドルの費用が掛かった。 当時の他のハンドガンの価格は、S&W Model19は約200ドル、コルトゴールドカップは約370ドル、コルトパイソンが400ドルであった。そのため1980年代前半の間は、米国内に流通するCZ-75は、ドイツまたはカナダなどを経由し個人レベルで持込んだり、間接的に輸入されたものに限られていた。
設計者であるFrantisek Kouckyが取得していた4つの特許(CZ-75のDAトリガー機構の部品構成に関するもの)は、チェコスロバキア軍がCZ-75の採用を検討していことから機密扱いになっており、国内特許であったため、イタリア、スイス、スペイン、トルコ、イスラエルなど不利な関税制限のない国でコピー製品が製造され、米国に輸出されていた。
1980年中盤になると、カナダのバウスカ社が代理店となりCZ-75が米国市場に流通するようになった。この輸入モデルは、製造コストを押さえるために、従来のブルーイングではなくエナメル塗装仕上が施されていた。
1989年以降になるとチェコの共産主義政権は崩壊し、それに伴い米国の輸入関税は課されなくなったため、米国内でもCZ-75の価格は他の製品と競争できるまでに降下した。後に米国内にCZ-USA社が設立され、改良が加えられたCZ-75Bをはじめとして、様々なバリエーション製品が製造販売されている。
前期型(ショート レイル)
Cz75前期型を模したエアソフトガン。実物はアメリカ市場でも殆ど流通しておらず、コレクターの間では高値で取引されている。チェコスロバキアは当時共産圏であったために、コストパフォーマンスを第一に考える必要がなく、強度のある最高級のスチール削り出し加工で部品を薄くすることができた。これに人間工学的な設計を加えることでグリップ形状に特徴を持たせ、握りやすさを向上させている。
チェコスロバキアは政治的に東側の一員だったが、西側諸国にも多数が輸出され、東品質に比べて値段が安い優秀な自動拳銃として評判を高めていた。現在でも前期型は高価で取引されている。
当時コンバットシューティングを提唱していたジェフ・クーパー (Jeff Cooper) がCz75を高く評価し「これが.45ACPであったなら世界最高のコンバットオートである」と述べ、後にこの提案をもとにした「ブレン・テン10mmオート」の開発に協力した。当時の米国では、「評価は高いが共産圏製で手に入らない」という点から、実力からは想像も付かない過大評価がされていた。
後期型
前期型の成功により受注が増えたCz75は、生産性を上げるためにいくつかの変更を行った。
製造過程を削り出しから鍛造へ変更し、これによる強度の低下のため、スライドとフレームの形状を若干変更している。また、グリップパネルは人間工学的に優れたデザインに変更された。これに伴い重量もやや増加し、デザインも多少変化している。
東欧民主化後、チェコスロバキアからチェコ共和国へと製造国の政治形態は変化したが、Czで生産は続けられ、世界市場に向けてさまざまなバリエーションが作られている。
現在のCz75
Cz85Cz75シリーズとしてコンバットシューティングモデル(競技用)、ローエンフォースメント用マシンピストルモデル(法執行機関向。全自動射撃可能)、Cz85といったアンビデクストラウスモデル(射撃者の左利き・右利きを問わない)も生産されている。Cz85についてはCz75の狭いフレームを改良しないまま左右両用化しているため、スライドストップの軸が折れやすい、周辺のフレームに亀裂が入りやすいという欠陥が指摘されている。
その他にも.22LRモデル、.40S&Wモデル、コンペンセイター装着モデルに加え、フレーム下部にアクセサリーレールを装備したCz75 SP-01、.45ACPを使用するために大型化したCz97Bなどが存在する。Cz本社以外のコピー製品でも、スポーツバージョン等が発売されている。
イタリアや中国、北朝鮮でも生産されているが、中国ノーリンコ製のものは、外観の仕上げが劣るとされている。
北朝鮮では朝鮮半島の代表的な山である白頭山から名前を取った「白頭山拳銃」として生産されており、金正日総書記から送られる贈呈用拳銃として装飾されたものもある。銃としての性能に関しては、チェコ製のものに劣るとされている。
NHKのドキュメンタリーで、匿名を条件に取材に応じたイギリスの民間軍事会社がバリエーションのひとつ、CZ75Dを実弾訓練の際に利用しているところが確認されている。
(参考:Wikipedia)
おまけ-
ゆうぎ姐さんの使用するのCZ75は、前期タイプです。 後期タイプはパルスィで使用。
拳銃紹介(古明地姉妹編)
さとり様の拳銃-ベレッタ90-Two
ベレッタ90-Two(べれったないんてぃーつー)とは、イタリアのピエトロ・ベレッタ社が生産・販売している半自動拳銃。口径バリエーションは9mmパラベラム弾と.40S&W弾。M92FSの直系の後継機種にあたるが、バレル、スライド、マガジンの交換で9mmと.40S&Wを使い分けることが出来るために、M96FS相当になる90-Sixというモデルは存在しない。
概要:
本作はある意味「ファンモデル」という分類に当たる。現代のトレンドを行くロータリーバレル式かつポリマーフレームであるPx4 Stormという機種が存在している以上、プロップアップ式と金属フレームを持つ90-Twoは1世代前の拳銃であり、マイナーチェンジを施したM92FSと言えるためである。
進化点:
M92FSと違う点は以下の通り。
グリップパネルとバックストラップの交換が可能。
Vertecのようにアンダーマウントレールを装備している。何もマウントしない時用のレールカバーを付属。
全体的に丸みを帯び、ホルスターから抜く際に引っかかりにくくなった。
装弾数が9mmで15+1→17+1発、.40S&Wで10+1→12+1発へ増えた。
チャンバーに弾が入っているか否かをスライド操作なしで確認できるインジケーターの追加。
(参考:Wikipedia)
こいしちゃんの拳銃-SIG SAUER MOSQUITO
SIG SAUER MOSQUITOは、SIG社およびその傘下であるSAUER社製の自動拳銃。
「オリジナルP226の90%のサイズ」というのが謳い文句。P226の練習用としての趣が強く、オリジナルの数々の特徴を忠実に引き継いでいる。スライドはアルミ合金、フレームはポリマー。
MOSQUITO(モスキート)とは蚊の意味で、小口径弾薬である.22LR弾を使用することに由来している。
ハンマーが、レスト・ポジションでもファイアリング・ピンに触れず、安全性が高い設計になっている。だがそのために、ハンマー・リセット・スプリングの力が常にかかることで、ハンマーの打撃力がわずかに低下する。そのためか、.22LR弾がリムファイア方式であることもあり、不発になることがある。
出典:
「SIGモスキート & ワルサーP22-最新22オートの世界」『Gun』2007年2月号、国際出版社
(参考:Wikipedia)
ベレッタ90-Two(べれったないんてぃーつー)とは、イタリアのピエトロ・ベレッタ社が生産・販売している半自動拳銃。口径バリエーションは9mmパラベラム弾と.40S&W弾。M92FSの直系の後継機種にあたるが、バレル、スライド、マガジンの交換で9mmと.40S&Wを使い分けることが出来るために、M96FS相当になる90-Sixというモデルは存在しない。
概要:
本作はある意味「ファンモデル」という分類に当たる。現代のトレンドを行くロータリーバレル式かつポリマーフレームであるPx4 Stormという機種が存在している以上、プロップアップ式と金属フレームを持つ90-Twoは1世代前の拳銃であり、マイナーチェンジを施したM92FSと言えるためである。
進化点:
M92FSと違う点は以下の通り。
グリップパネルとバックストラップの交換が可能。
Vertecのようにアンダーマウントレールを装備している。何もマウントしない時用のレールカバーを付属。
全体的に丸みを帯び、ホルスターから抜く際に引っかかりにくくなった。
装弾数が9mmで15+1→17+1発、.40S&Wで10+1→12+1発へ増えた。
チャンバーに弾が入っているか否かをスライド操作なしで確認できるインジケーターの追加。
(参考:Wikipedia)
こいしちゃんの拳銃-SIG SAUER MOSQUITO
SIG SAUER MOSQUITOは、SIG社およびその傘下であるSAUER社製の自動拳銃。
「オリジナルP226の90%のサイズ」というのが謳い文句。P226の練習用としての趣が強く、オリジナルの数々の特徴を忠実に引き継いでいる。スライドはアルミ合金、フレームはポリマー。
MOSQUITO(モスキート)とは蚊の意味で、小口径弾薬である.22LR弾を使用することに由来している。
ハンマーが、レスト・ポジションでもファイアリング・ピンに触れず、安全性が高い設計になっている。だがそのために、ハンマー・リセット・スプリングの力が常にかかることで、ハンマーの打撃力がわずかに低下する。そのためか、.22LR弾がリムファイア方式であることもあり、不発になることがある。
出典:
「SIGモスキート & ワルサーP22-最新22オートの世界」『Gun』2007年2月号、国際出版社
(参考:Wikipedia)
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