水曜日, 3月 31, 0022

拳銃紹介(封獣ぬえ編)

今回はぬえぬえの拳銃-モーゼルC96(C712)

モーゼルC96はドイツの拳銃。モーゼル・ミリタリーとも呼ばれる。

概要:
1896年にモーゼル兄弟(ヴィルヘルム・モーゼル、ポール・モーゼル)が開発した。このデザインは弾倉が銃把の前にあるため重心が前にあり、射撃競技銃のように正確な射撃が可能であり、ストックを併用するとカービンとして使用できた。「箒の柄(ブルームハンドル)」とあだ名された独特の形状をしたグリップは、掌の小さな小柄な民族でも関係なく使用できる利点があり、そのまま採用され続けた。

この銃は馬上などでも使いやすいということで、清朝末期以降の中国の軍人や馬賊にも愛用された。同銃は100万丁以上生産され、旧式化してもなお中国を最大のマーケットとして1936年まで生産され続け、チャーチル・金日成・ホーチミンといった当時の著名人にも使用されている事でも有名である。

他の自動拳銃に比べて倍近い価格だった事や、目を引くデザインだった事からステータスシンボルでもあり、まだ信頼性の低かったマガジン給弾式に比べて、信頼性の高い固定弾倉式だった事で、20世紀前半で最も知られた自動拳銃となった。

パテントは1895年に取られており、その最大の特徴となっているトリガーの前にマガジンハウジングを持つスタイルは、当時グリップがマガジンハウジングを兼ねる方式が特許取得済みだったためとも言われている。

使用する.30モーゼル弾(7.63×25ないし、7.62×25。資料によって表記が異なる)は、ルガーP08の原型となったボーチャードピストルでボーチャードが開発したボトルネックリムレスカートリッジがベースになっている。この弾は、初速が高く、口径の割に高威力である反面、銃身が加熱しやすいと言う特徴がある。

マガジンへの装弾方法は当時のボルトアクションライフルに似ており、マガジンが空か最終弾を撃ち尽くしコッキングピース(一般的な自動拳銃のスライドに相当)が後退したホールド・オープン状態から弾丸が10発まとめられたクリップを排莢口に差込み、指でマガジンに押し込む。マガジンにはダブル・カラム方式で収納される。その後クリップを抜き取るとボルトが前進してチャンバーに第一弾が送り込まれるようになっている。コッキングピースをホールドするパーツはないためクリップなしでの装弾は事実上できない。また、ホールド・オープンしているモーゼルをクローズするのにも最低限クリップが必要である。最終弾を打ち出すまで弾丸の補給ができない。セーフティレバーはハーフコックおよびフルコックでかけられる。初期型はセーフティを上に押し上げるとOFF、後期型は下に押し下げるとOFFなのでこれで初期型と後期型の区別がつく。また、ボルトとファイアリングピンの長さは同じなので静かにハンマーを戻せば暴発しない。M1930でセーフティレバーに改良が加えられ、ロック状態では、トリガーを引いて、ハンマーを落としても、ファイアリングピンを打たないようになっている。このため、M1896(初期型)とM1930(後期型)の二つのカテゴリーに大別する事が多い。構造は全て金属パーツとスプリングの噛み合せでできており、ネジはグリップで使用している一本だけである。付属のクリーニングロッド一本で、分解清掃可能となっている。

距離を調整できるタンジェントサイトを装備しているモデルが多いが、これはストックを取り付けたときを前提としたサイトになっているのでストックを付けずに撃つ場合は標的が20m先の場合、20~30cmぐらい下を狙う必要がある。

当時としては多弾数だったことと、弾速の速い高速弾だったこと、ストックをつけたときの有効射程が200mを越えることなどから自動式カービンに相当するポジションを担う実用的な銃としてアジアを中心に広く愛用され、世界数カ国でコピー製造された。スペインのアストラ社もコピー品を生産しており、アストラM900として販売している。また中国ではトミーガンと弾薬を共用できる45ACP仕様のモデルが山西省軍閥の工廠で生産されている。

尚、ブルームハンドルのフルオートモデルを先に開発していたのはアストラ社であり、マーケットを確認したモーゼル社が追従する形となっている。

日本においても第一次世界大戦終戦後に、ヨーロッパから放出された銃や、中国戦線で鹵獲された本銃が大量に国内へ入ってきており、昭和15年に「モ式大型自動拳銃」として日本軍に準制式拳銃化され、弾丸も国産された。

中国で大量に鹵獲され、その多くが私物として日本に持ち込まれたため、戦後も一部の将校達は隠匿し続けていた事も判明しており、旧ソ連崩壊後に自主的に警察へ提出されたり、遺族が発見する事が多い事でも知られている。

戦前、日本の警察の一部でも採用された例(福岡県警察部が「独逸モーゼル自動拳銃」として内務大臣に使用認可申請)がある。

設計の一部(閉鎖機構)や弾丸の構造が、日本の南部式自動拳銃などに影響を与えているが、形状は大きく異なっている。

型式名について-
モーゼル社が、正式な型式名を付けなかった事もあり、現在目にする型式名は、後世のコレクターや研究者の便宜上の分類であったり、販売代理店の付けたものであるため、少々、混同を招く結果になっている。そもそも、コマーシャルネームのモーゼル・ミリタリー・ピストルも、ミリタリーという名称でありながら、実際には、軍から制式採用された事がなく、民間販売の方がメインであった。

もっともポピュラーであろうC96という形式であるが、実はこれは、民間販売用の形式であり、軍にはM96として販売されていた。また、C96とする場合、1896年の初期型から、1930年のユニバーサルセーフティを備えた後期型、さらには広義にとればフルオート機能を持つ1932年製も含んでしまう。その為、マイナーチェンジ等の細かい違いを考慮するために「M+発売年」で、語られる事も多い。

バリエーション:

ルガーP08ほどではないが、多種多様なバリエーションを持つ。

モーゼル・ミリタリー 9mm(M1916)
9mmパラベラム用に改造されたモデル。グリップに赤字で大きく「9」と刻印されているため、「レッド9」と呼ばれた。両大戦でドイツ軍が使用。ワルサーP38、ルガーP08と弾を共有させたとされる。なお、軍によって公式に使用された兵器ではあるが、制式採用はされていない。

ボロ・モーゼル(Bolo Mauser)
ロシア向けに輸出されたモデル。グリップがやや太く、バレルは4インチに短縮されている。「ボロ」は「ボリシェヴィキ」の略。

ボロ・モーゼル 6ショット
ボロ・モーゼルの弾倉を6連発にして扱いやすくしたモデル。

モーゼル・フラットサイドモデル
C96の側面の凹凸をなくして磨き上げたモデル。バリエーションとして作られたのか、単なるコストダウンなのかは不明。

モーゼル・ライエンフォイヤー (Mauser Reihenfeuer/M713/M1931)
形式名は”M713”であるが、シュネルフォイヤーの前のモデル。モーゼル社での社内名称はM1931。”ライエンフォイヤー”とは、「連射」の意味。製造は1931年。
このモデルから、フルオートによる弾数消費に対応するため、マガジンが脱着式となり、10発と20発弾倉が用意された。フルオート射撃時の振動でセレクターが勝手に切り替わってしまうなど、欠陥が多かった失敗作で、短期間で生産中止となった。

モーゼル・シュネルフォイヤー(Mauser Schnellfeuer/M712/M1932)
シュネルフォイヤーは「速射」の意味。フルオート射撃が可能なマシン・ピストルであり、俗にM712と呼ばれるモデル(M712は、アメリカの代理店ストーガー社が付けた型式名)。1932年に製造された事からM1932とも呼ばれる。
M713と同様、フルオート射撃機能の採用を受けて10発ないし20発の着脱式マガジンが用意されたが、従来通りのクリップによる装填も可能。なお、現存する20発弾倉の数は希少である。フルオート射撃では振動が大きく、ストックを使用し片膝を付いた姿勢でも射線の維持は困難であり、近接戦闘で弾幕を張る以外の目的には適さないとされる。
短機関銃より携行性に優れ、通常の拳銃よりも強力な火力を発揮できたため、短機関銃の代用たる装備としても利用された。ドイツ国内では、1940年にドイツ空軍が7800挺を購入したが、砲兵部隊のオートバイ伝令兵にサイドアームとして供与した程度である。また、当時のドイツ空軍降下猟兵の兵士は降下の際に拳銃や手榴弾程度のみ携行し、小銃など主兵装はコンテナに詰めて別途投下するものとされていた。その為、コンテナを回収できない場合でも、カービンや短機関銃を代用出来るシュネルフォイヤーを所持していた兵士もいた。武装親衛隊でも短機関銃不足に対する補助兵器として一定数を購入している。
C96のイメージが強いのか、ゲームなどではM712と銘打ちながらも、装填方法がクリップ装填のみと設定されることがある。

山西17式 (Shansi Type 17)
20世紀初頭、中国は多くの軍閥による群雄割拠の状態にあり、山西省は山西都督の閻錫山率いる軍閥が実効支配していた。閻は彼らにとって事実上の首都である太原に近代的な兵工廠を設けた。山西軍閥は太原兵工廠で.45APC弾を使用するトンプソン短機関銃を生産していたが、同時に採用していたC96拳銃は7.63mm口径弾を使用しており、弾薬の供給に支障を来していた。
そこでC96を.45APC弾に対応させる改良を施し弾薬供給の単純化を目指した。この45口径拳銃は17式と名づけられ、1929年から太原兵工廠にて生産が開始された。
17式は左側面に「壹柒式」の刻印、右側面に「民国拾捌年晋造」の刻印がある点でC96と区別できる他、トリガーガード下で広がる大型の10発装填マガジンが外見上の特徴となっている。装填時には5発止めクリップ2つを使用する事が多かった。これは馬賊や他の軍閥に対する防衛の為、鉄道警備隊などに対してトンプソン短機関銃と共に支給された。
ほとんどの17式は国共内戦で紅軍が勝利した後、共産党の規約により廃棄されたが、一部は海外へ輸出された。凡そ8500丁の17式が太原兵工廠で生産されたとされる。しかし、実際に山西軍閥が生産したものの他、アメリカでコレクター向けに類似の改造を施した45口径モーゼルがごく最近製造され流通しており、正確な生産数については議論がある。

漢陽製C96 (Hanyang C.96)
1923年、漢陽兵工廠ではC96のコピー銃の製造を開始し、最終的に13,000丁程度を生産したと言われている。このモデルも17式同様に正確な生産数は分かっていない。
(参考:Wikipedia)

追記:
作中で「M712」と呼ぶ、7.65mmモーゼル弾(7.65mmパラベラム弾の亜種、実際存在しない)使用。あの程度で架空種の拳銃です。

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