今回は東方新作「東方神霊廟」の新キャラの二人の拳銃で紹介します。
まずは響子の拳銃-ラハティL-35
ラハティL-35は、アイモ・ラハティによって設計され、VKT(Valtion Kivääritehdas)で製造された軍用自動拳銃。
概要:
試作型L-29、L-31に続き1935年にL-35が造られた。1935年から1952年までに約9,000丁が製造され、4つの生産シリーズに分けられる。寒さと汚れに対する信頼性向上のため、ボルトアクセラレイターを備え、少数だが着脱式ストックも生産された。
冬戦争から実戦投入され、1980年代にFNブローニング・ハイパワーDAが採用されるまで、フィンランド軍で使用された。
また、1950年代には民間へも販売された。
生産シリーズ [編集]第1シリーズ
1941年までに生産された。
第2シリーズ
1941年から1942年まで生産された。
第3シリーズ
フィンランド軍向け最終生産型。
第4シリーズ
民間・輸出用。
派生-
ハスクバーナ m/40
スウェーデン軍用に、ハスクバーナ(Husqvarna)社でライセンス生産された型。1940年スウェーデン軍に採用され、1946年までに約100,000丁製造された。
スウェーデン軍用の9mmパラベラム弾は、寒冷地対策として発射薬の多い強装弾のため、m/40も耐久性向上の改良が行われたが、1980年代にはヒビが入り始めた。そのため、保管されていたFNブローニングM1903(軍制式名m/07)を、陸軍用グロック17(軍制式名m/88)、空軍用グロック19(軍制式名m/88B)が採用されるまで使用した。
(参考:Wikipedia)
芳香の拳銃-ラドムVIS wz1935
ラドムVIS wz1935は、ポーランドのラドム造兵廠で作られた大型自動式拳銃である。
ポーランドはドイツとロシア(のちソビエト連邦)に挟まれていたため、幾度も国土・国家主権が失われる危機を迎え、翻弄された歴史を持つ。ラドムVISもまた歴史に翻弄された銃であり、当初はポーランド軍用として生産されたが、後のドイツ占領後はドイツ軍向け拳銃として生産された。生産期間は短期間に留まっている。
沿革:
第一次世界大戦後、ようやく独立を取り戻したポーランドでは、ラドム造兵廠で軍・警察用国産拳銃の開発が着手された。
基本設計を行ったのは、ピオトール・ヴィルニエブツィック(Piotr Wilniewczyc)と、ヤン・スコルツィピンスキー(Jan Skrzypinski)の両技師とされる。ヴィルニエブツィック技師はワルシャワの民間企業PWU社からこのトライアルに参加、まずwz1928という拳銃プランを提出した。この銃は図面のみで実際には製作されなかったと言われるが、その後wz1930という拳銃が試作されている。トライアルそのものが設計からのコンペティションだった可能性もある。このwz1930は後のwz1935の元となる銃で、細かな違いはあるものの基本設計は変わらない。
基本構成-
ヴィルニエブツィック技師は、著名な銃器設計者ジョン・ブローニングに大きく影響を受けていた。このためwz1930は、ブローニング系の設計であるコルト・ガバメントのメカニズムを多くの面で踏襲したシングルアクション拳銃として設計されつつ、ヨーロッパで主流の9mm口径への変更を受けて完成されたが、部品数の削減やメンテナンス性の向上など細かな変更が行われていた。
その中でも優れていた点は、ショートリコイルする可動バレルのティルト手段を、ガバメントやその亜流の銃のようなリンク連結ではなく、バレル本体とフレームとの凹凸を合わせる、がたつきの出にくい手法で処理していた点であろう(もっともこの着想自体はブローニングが発想しながら量産化しなかったもので、ポーランド人技術者のオリジナルではないようである)。
引き続き行なわれたトライアルであったが、これには時間がかかった。実際に使用する軍人に渡されたwz1930は、5年かけて現場での問題点を拾い上げ改良を重ねて行った。
軍からの最も大きな改善要請は、片手でのデコッキングができるようにしてほしいということであった。当時騎兵隊が主力のポーランド軍では、馬の手綱を握りつつ片手で安全に拳銃を扱えることは重要だったのである。
そこでシングルアクションの自動拳銃には珍しくデコッキング・レバーが追加され、マニュアル・セフティが分解用のレバーに変えられた。これによってシングルアクションの自動拳銃としては安全性に優れた銃となっている。
細かな改良を重ねたwz1930は1935年にようやくwz1935として制式採用された。wzとは英語圏で言うModelの頭文字Mに近いものとされている。
当初、ヴィルニエブツィックとスコルツィピンスキーの両設計者のイニシャルにちなんで「W&S」の意味がある「WIS」のネームで呼称される予定だったが、それならラテン語で「力」を意味する「VIS」の方が拳銃として相応しいのではないか、という声が上がり、この拳銃のネームは「VIS」となった。
隣国ソ連の同時期に置ける新型拳銃トカレフTT-33もVIS同様にコルト・ガバメントの影響下で設計された銃だったが、生産性・耐久性を重視し、安全装置を省くほど簡素化され、野暮で泥臭い外観に徹していたトカレフに比し、VISは極めて洗練された近代的直線デザインで、表面仕上げやグリップデザインも美しく、またシングルアクション拳銃ながらデコッキングレバーを備えるなど実用面の配慮も為されていて、まったく対照的な銃に仕上がっていた。両国の国情や国民性の違いを象徴するような現象で、興味深い事実である。
量産化後の転変-
ポーランドを取り巻く政治体制が悪化する中で生産体制が整えられ、VIS拳銃は1937年からラドム造兵廠で量産が開始された。1939年までに50,000丁あまりが生産されている。
しかし1939年9月の第二次世界大戦勃発で、ポーランドはナチスドイツとソ連の両面から攻められて分割占領され、ラドム造兵廠もドイツ軍の管理下に置かれた。
VISはその優秀性からドイツ軍にも着目され、ドイツ軍制式の9mmパラベラム弾を用いていて互換性があるというメリットも買われて、兵器不足のドイツ軍向けに補助兵器として採用されることになった。こうしてVISは、表面仕上げの簡素化などの変更はあったものの、そのまま「P35」として、ドイツ軍の主力拳銃であるルガーP08・ワルサーP38を補完する形で量産されたのである。
結局、ポーランド軍向けよりもドイツ占領後の方が遙かに生産実績を伸ばし、デコッキングレバー省略などの工作簡素化やグリップの木製化などの変更を受けつつも、1945年までに300,000丁以上が生産されたとされる。この間、VISはラドム以外に、オーストリアのステアー社でも生産されている。
第二次大戦後、共産圏に入ったポーランドはソ連のトカレフ系拳銃採用にシフトしてしまい、それ以外の国も含め、VISは再び量産化されることなく終わった。
(参考:Wikipedia)
月曜日, 7月 25, 0023
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