紫さんの拳銃-十四年式拳銃
十四年式拳銃(じゅうよねんしきけんじゅう)は、旧日本軍の代表的な拳銃。一般には南部十四年式拳銃で知られる本銃であるが日本陸軍用制式銃には本来、設計者の名前は付属しないため制式名称は十四年式拳銃となる。
概要:
口径8mmで、いわゆる8ミリ南部弾を使用する自動式拳銃である。装弾数は8+1発。十四年式拳銃の試作型にはダブルカラムマガジンの16連発のモデルが存在していた。しかし軍部が不要としたのか、16発のマガジンは量産型に採用されていない。外観はルガーP08に影響を受けたとされるが機構は全く異なり、むしろモーゼルC96に類似している。近年ではイタリア軍で第一次世界大戦前に制式採用されていたグリセンティM1910に機構・外観ともに近いのではないかと言われている。
アメリカ人が「南部十四年式拳銃」と間違えて呼んでいた為に、戦後国内でもこの誤った呼称が定着したと考えられている。また本銃の設計には南部麒次郎は直接タッチしていない。
特徴:
この銃は、各部に独特な機構が与えられている。用心鉄が小さいため厳冬用の手袋をしていると指が入らない(シベリア出兵の際に軍用手袋、いわゆる“軍手”を数枚重ねて使用していたことから発生した問題)ことや、弾倉の固定が弱く弾丸発射の衝撃や携行中に弾倉が脱落する問題、撃針及び撃針バネに不良が多く不発が頻発するなどの不具合も浮上した。しかし、安全面や操作性の面で幾多の改良が加えられた。
歴史:
この銃は1924年に陸軍大佐であった南部麒次郎の助言の下、名古屋造兵廠で南部大型自動拳銃を元に開発された。先述のとおり試作十四年式拳銃はブローニングHPの13連発を軽く上回る16連発ハイキャパ式マガジンであったが、16発も必要が無いという結論から8連発になった。
大正14年旧日本陸軍に制式採用。斯様に短くはない採用歴のため、途中で様々な改良も施された。ダルマ型トリガーガードや、事実上の改悪となったマガジンの脱落防止スプリング、細かい所ではファイアリングピンやマガジン・セーフティなどが終戦までに改良された。
そして昭和20年、制式採用の座を降りた。合計約21年間、制式採用拳銃を勤めた。終戦後も東南アジア諸国などで広く長く使われる実用的な拳銃となった。北支十九年式拳銃は本銃にきわめて良く似た外観・機構を持ち、十四年式拳銃のコピーモデルと見なされている(製造場所等には諸説あり、不明点が多い)。
欠点:
弾の威力が同時代の9mmパラベラム弾に比べて威力が低い。
180°回転式のため安全装置を片手で解除できない(試作型の十四年式拳銃は片手で操作できた)。
撃鉄のスプリングが弱く折損が多い。
ホールドオープン(弾倉内の弾丸を撃ち尽くした後にスライドが後退位置で固定される機能)が弾倉内の部品(マガジン・フォロアーと呼ばれる弾丸を押し上げる部品)により行なわれるために、弾倉の交換に力が必要である(このときにスライドが戻ってしまい、ホールドオープンする意味が半減する)。
全長が大きいため、携行が不便。
利点:
命中率が高い。
ジャムが少ない。
ハンマーを持たないストライカー方式は軍用拳銃としてはかなり異色なデザインだが、このためグリップにはハンマースプリングなどがなく、マガジンより一回り太いだけの細身のグリップが実現できており、手の小さい日本人にも扱いやすくなっている。
なお、この銃以前には南部式自動拳銃が存在し、本銃はこれを下敷きとしている。この大型拳銃は機構の複雑さ、生産・メンテナンス性の問題などから採用されなかったという経緯があった。それらを改めたのがこの十四年式拳銃と言える。
(参考:Wikipedia)
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